その人から「ご挨拶」のお手紙をいただいたのは昨年の12月11日。近況を知らせてくれるにはやや唐突だなと思ったのですが,自分の病状のこと,そして令和3年3月末をめどに弁護士を廃業し,事務所も閉鎖する由。
その人は私より3歳年長で,司法修習の同期で同じクラスでした。その手紙は誠実さがにじみ出ている文面でした。9年ほど前に診断された糖尿病は小康状態だったのに,昨年6月に体調不良で諸検査を受けたところ,膵臓に癌が見つかっただけでなく,既に他の臓器への転移もはっきりと分かる状態であったとのこと。
そして,化学療法(抗がん剤治療)のみが考えられるものの,これが効くかどうかわからない,仮に効いたとしても余命が数か月延びる程度とのことで,熟慮の結果,抗がん剤治療は受けずにこのまま過ごすという内容でした。
自分が彼のような立場だったとして,このような誠実で冷静で丁寧な「ご挨拶」ができたかというと,とても自信がありません。この手紙は司法修習同期の同クラスの面々には全て出されたようです。辞世を覚悟の文面だったと思います。
その人は笑うと目がなくなるほど優しそうであり,いつも依頼者には法律家として誠実に対応されてきたと確信していますし,毎年年賀状のやり取りもしておりました。弁護士として同世代の人が事務所を閉鎖し,弁護士を廃業するといった報に接するととても寂しいです。
その人の訃報が届いたのはそれから間もなくであり,今年の2月9日に鬼籍に入られたとのことです。合掌。やる瀬がありません。
以前から,ある文豪が「さよならだけが人生だ」という言葉を残したということは知っていたのですが,誰だったか思い出せず,調べてみましたら井伏鱒二でした。この文句は,唐代の詩人于武陵の詩「勧酒」を井伏鱒二が自分なりの訳を行った末尾行の表現です。
「勧酒」の一般的な和訳(直訳)は次のようなものです。
「君に この金色の大きな杯を勧める なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ 花が咲くと雨が降ったり風が吹いたりするものだ 人生に別離はつきものだよ」
それを井伏鱒二は次のように表現しました。
「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」
せっかく花が咲いたと思ったら,嵐がきてすぐに散ってしまう。人も同じで出会いがあれば別れは必ずある。「さよなら」だけが人生だね,といった感じの訳です。名訳だと思います。あるサイトの紹介によると,井伏がこのような訳をしたのは,実は作家の林芙美子が関係しているそうです。井伏は昭和6年4月に講演のため林とともに尾道に行き,因島(現尾道市)に寄ったことがあったが,その帰り,港で船を見送る人との別れを悲しんだ林が「人生は左様ならだけね。」と言ったことがあり,井伏の頭の中にこの言葉が残っていたのではないか,ということです。
「さよならだけが人生だ」
深酒はもちろんしませんが,今日も少しお酒をいただくことにいたします。
うーん・・・。久しぶりに我が栄光の読売巨人軍の雄姿を観に行ったのですが,その情けない試合ぶりにガッカリしました。失望を禁じ得ない。中日ドラゴンズとの日曜日の試合でした。1-4の敗戦でしたが,スコア以上の差がある内容で,完敗に近かったのではないでしょうか。
先発の今村投手は相変わらずボールが多く,球威も球速もいまいちでした。2回裏でアウトを一つも取ることができないまま早々に降板・・・。後続の桜井投手も相変わらずボールが多く,相手投手に良い当たりのセンター前のタイムリーヒットを打たれる始末です。
球場内ではビールも飲めず(アルコール類は販売されておらず,ノンアルコールビールさえ飲めません【苦笑】),さらには打線にもつながりと爆発力というものが全くなく,フラストレーションがたまる一方でした。4番打者の差が顕著でしたし,巨人は非力な打者が多いのです。これでは勝てません。
また,この試合は中日ドラゴンズのホームグラウンドで行われたとはいえ,中日の攻撃の時は豪華な応援のサウンドが流されるのに,巨人の攻撃の時はシーンと静まり返っており鳴り物というものがありません。不公平だなと思いました。7回表にはさすがに「闘魂こめて」(巨人軍の応援歌)が流されましたので,私はマスクの下からやけくそで大声で歌ってやりました。このままセ・パ交流戦に突入しますが,もっとしっかりしろ!ジャイアンツ!プロだろっ!
そのご婦人,そしてそのご家族はとても感じの良い人たちでしたが,私と同じマンションから引っ越して行かれました。気持ちの良い挨拶のできる人はとてもいい。そのご家族は顔を合わせるといつも気持ちのよい挨拶をしてくださり,子供もちゃんと挨拶ができます。躾というものができているのですね。
特にうちのカミさんとそのご婦人は常日頃会えば挨拶もし,時にはごく短い世間話もしていたようですが,引っ越しに際してそのご婦人は,我が家にとても綺麗な蚊帳ふきんを贈ってくださいました。そこには「いつも優しくお声を掛けていただき,ありがとうございました。」というメッセージが添えられていたのです。
躾というものは再生産されていきます。逆に躾がなっていない場合にも負の再生産がなされます。躾をされた人は自分の子どもにも躾ができますが,逆に子供のころに躾がなされていない人は親の立場になっても躾ができないという傾向が確かにあると思います。
先日通販で購入した「しじみスープ」(粉末のもので170CCくらいのお湯を注ぎます。12袋入り)は買って正解でした(笑)。美味しいし,何しろ島根県宍道湖産のしじみなのです。私は特に口に入れるものについては原産地に拘ります。誠に失礼ながら,私にとっては中国産や韓国産のしじみはあり得ない(笑)。衛生面でも政治的な意味でも(笑)。いつも思うのですが,日本製や国産は商品としては「売り」だと思うのですが(したがってその旨を大きく表示する。),例えばよくBS放送なんかで宣伝しているしじみ由来のサプリメントなどは,どこで採れたしじみなのかについての言及が全くありません。国産ならば「売り」として必ず表示するでしょうが,敢えてそれに触れていないということは・・・(笑)。
「先生,大村知事に似てる。」
その発言から受けた精神的打撃(ショック)は,現在も私の心の奥底に澱のようになって沈殿しております(笑)。行きつけの昭和の香りのするスナックのママからの発言です。新型コロナウイルス関連の記者会見でフリップを手にした大村知事の姿を見るたびに,思い出すのです。
そんなに似ているのか,今でも折に触れてうちのカミさんに縋るようにして尋ねてみます(「否定してくれ!」と心で叫びながら)。その都度カミさんは,「全然似てないよ。」,「気にすることないよ!」と全力で励ましてくれます。全力になるところがまた新たな疑念を生ずる所以ですが,自分でも本当のところはそれほど気にしてはおりません。じっくりと自分の顔を鏡で見ても,やはりそんなに似てはおらず,私の方がいい男ですもの(笑)。
標題が「雑感」とはいえ,何から語り始めてよいのか分かりません(笑)。でも一つ言えることは,昨夜の菅首相の記者会見の模様を見ていて,本当に情けなくなったということです。彼は「国家観なき実務家」に過ぎません。
魚の死んだような目をして,官僚が作成した回答原稿を読んで,「国民の安全,安心,命を守り抜く」みたいな空虚な発言を繰り返し,言葉に窮したら隣にいる政府分科会の尾身会長に縋りつく・・・。
新型コロナウイルス感染拡大への対策が喫緊の課題になってから十分な時間がありながら,感染拡大に対する有効な手立てもなく,早期のワクチン確保にも失敗,医療崩壊,厳重な防疫をせずに変異株まで蔓延させ,最近ではインド変異株の感染者まで見つかる始末です。
端的に申しますと,新型コロナウイルス対策,経済対策を総合的に統括する司令塔がいないのです。日露戦争,旅順攻囲戦で陣頭指揮を執り,203高地を奪還した児玉源太郎(満州軍総参謀長,「百年に一人の戦略家」)のような人物がいないのです。
もはや宗教みたいな「財政規律教」を護持する財務省に洗脳され,中途半端な政策しか取れず,はや第4波を招きました。厳格な防疫を前提として,短期集中型のロックダウン,大幅な財政出動(給付,補償など)をしなければならない状況なのではと思っております。
もうかなり前の産経新聞の田村秀男さんの「経済正解」というコラムでは興味深いことが書かれていました。「政府債務は財政出動の障害ではない」という自分の記事のコピーを米国在住の浜田宏一エール大名誉教授に電子メールで送ったら,同教授から「政府債務のこと100%同感です。未来世代の厚生は国全体の生産能力にかかっているので政府の財務状態によるのではないというラーナーの直観が忘れられていると思います」との返信が田村秀男さんになされたとのことです。
ラーナーは1903年生まれ,1982年に亡くなったケインズ派経済学の大家で,政府の財政政策は完全雇用と物価の安定の実現を優先すべきで,財政出動拡大が公的債務を増やそうとも気にすべきではないと論じています。
米国のジャネット・イエレン新財務長官は就任に際し,均衡財政論を排し,「政府は債務水準にこだわらず,大きな行動をとることこそが重要だ。パンデミックによる打撃に対する必要な措置を避けると,財政を赤字にしてもやるべきことをやる場合より,悪い状況に陥る公算が大きい」と論じています。国際通貨基金(IMF)にもこれまでの立場に対する反省の機運があるようです。ギリシャ危機の際,IMF主任エコノミストだったブランシャール氏は最近,「危機に見舞われ総需要が弱い局面では財政出動の有効性は際立っている」と論じるようになったとのこと。
積極的な財政出動だけでなく,減税もお願いしたい。「よし分かった!今年は消費税を納めなくてもいい!」と政府が言ってくれるなら少しは見直すのに(笑)。
「すべて世は事もなし」という訳にはいきませんが,昨日の朝,我が家のベランダに本当にかわいい2匹のスズメがやって来ました。それを発見したカミさんが慌ててスマホで撮影しようとガラス越しに近づいたら,1匹が逃げてしまいました。かわいいスズメを何とか撮影しようとしているカミさんは鬼気迫る迫力があり,姿を隠したり位置を変えたりと必死です(笑)。結局は残りの1匹にも逃げられ,撮影失敗。しかし,カミさんの姿を傍から見ている方がよっぽど笑えて来ます。刑事もののドラマを見ていても,相変わらず感情移入してヒロインと一緒に頷いていますし(笑)。横目でそれを見ている方が笑えます。
ただ,私は以前このブログでも書きましたが,スズメという動物が大好きで大好きで・・・。こんなにかわいい存在もありません。木村緑平という人も同じで,このブログでも紹介しました(2015年10月29日に書いたやつです。)。よかったら読んでみてください。
「雑感」というタイトルですから,今日もとりとめのないことをダラダラと書きますよ。みなさん,最後まで気を確かにもってお付き合いください(笑)。
菅義偉という,本当は首相の器,資質・能力をほとんど持ち合わせていない方は,政権を担当することになった当初,基本的な政策理念として「自助・共助・公助」を高らかに掲げましたね。では,彼が自分の長男に対してなした処遇は,果たして長男にとって「自助」と言えるのでしょうか(笑)。
現在,この長男がらみの総務省高官に対する違法接待疑惑が持ち上がっております。どうやらこの長男は「ミュージシャン」だったようですが,菅という人が第一次安倍内閣で総務大臣として初入閣した際,そもそも政治とは全く無縁で経験もなかった自分の長男(当時弱冠25歳)を,何と大臣秘書官に「抜擢」したことは省内ではあまりにも有名な話だったようです。その後,大臣秘書官という経歴上のハクが付いた長男は,総務省所管業務と関連が深い業界に入りました。世間的にはあまり名の知れてはいない東北新社という会社に就職したのです。事実上この入社は,いわば「親の七光り」的な,コネ・情実による入社の可能性もあるのではないでしょうかね。穿ちすぎた見方でしょうか。
今回の総務省高官の違法接待疑惑は,その東北新社にいる菅ジュニアだったからこそ実現した接待であり(しかも10数回),接待を受けた高官もおそらくは,菅首相の長男だからということで「忖度」してしまったのではないか・・・。総務省というのは,電波法に基づいて放送の許認可を行う訳ですから,その高官(事務次官候補)が衛星放送を手掛ける会社の社長らから接待を受けたのが事実であれば,国家公務員倫理規程違反に該当し,懲戒処分の対象にもなるでしょう。
いずれにしても「李下に冠を正さず」です。傍から見てどのように思われるかという観点が必要です。話を元に戻しますが,さきほどの菅首相の自分の長男に対する処遇,「抜擢」は,同首相が高らかに掲げた政策理念である「自助」とは乖離してしまっています(笑)。
それにしても,このたびのWHO(世界保健機関)による中国武漢での調査は全くの茶番劇ですね。本当に笑えて来ちゃうほど意味のないもので,将棋に例えるならば投了間際の「形作り」のようなものです。相手は中国共産党なのですよ。1年以上も経ってからのこのこ出かけて行ったところで,不都合なものは全て隠され,対策されているに決まっているじゃありませんか。
中国が新型コロナウイルス感染状況等について極めて隠蔽的に行動していたことは既に公知の事実です。中国の武漢中心病院の眼科医であった李文亮医師は,2019年12月に原因不明の肺炎が広がっているといちはやくソーシャルメディアで良心に従って警告していましたが,警察から「虚偽の発言をやめろ!」と威嚇,弾圧され,結局は自らも新型コロナウイルスに感染して亡くなっています。また中国は当時からWHOに圧力をかけて時間稼ぎをし,深刻な事態である旨の発表を遅らせています。武漢当局が当時の真実(実態)を隠さずに申告し,中国政府がメディアを通じてちゃんと報道させていればこういう世界的に深刻な事態を招くことはなかったはずであり,かえって春節時期に中国人旅行者を無造作に「輸出」し,また外国人等を自国に入国させるなどの杜撰な対応をしたこと,隠蔽的に行動したことが世界的パンデミックを惹き起こしたのです。
アメリカのWSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)(電子版)は,2019年12月に武漢市で確認された174の感染例の生データについて,このたびのWHO調査団が提出を求めたにもかかわらず中国側がこれを拒否していたと報道しました。1年経った今でも中国共産党は隠蔽的です。また新聞報道によれば,WHOの調査団は,1月30日に中国共産党がコロナへの「勝利」を誇示するために開いている展覧会を訪れてもいます。プロパガンダに乗せられてしまっています。完全に茶番なのです。
誠に残念ながら本日は明るい話題はありませんでした(笑)。
今,自分にとっては壮大な社会実験のようなことをやっているんですよ(結局個人の実験ですけどね)。端的に言いますと,飲酒量を減らすことで自分の身体にどんな影響が生ずるか,という実験です。
以前の私は,1週間に1日の休肝日を設けることができるかどうかという人間だったのですが,最近では何と・・・1週間のうち約半分は休肝日とすることができています(笑)。どうしてそのようにしたかというと,飲酒量を減らすことで自分の身体にどんな影響が出てくるのか真剣に知りたかったからです。要するに興味に基づく実験です。
まだこの実験を始めてからそれほど経っていないのですが,これまでのこの実験で実感できていることは次の2点です。第1は,体重が減ること,第2は,睡眠の質が向上することです。
これらのことは従来からよく言われきたことですが,やはり実感できます。お酒を飲みますと,まずはお酒自体のカロリーが高いですし,私のようにおつまみがなければダメな人間は,どうしても美味しいものを食べ過ぎてしまいます。必然,オーバーカロリーになって体重が増える訳です。しかし,このように1週間のうち約半分くらい休肝日にしますと,体重が減少傾向にあります(体重計に乗ることが怖くなくなりました)。もちろん私の場合は,まだ標準体重よりも重いので,もっともっとこの実験を続けなければなりません。
次に,お酒を飲まなかった日は睡眠の質が向上します。もちろん寝返りを打ったりする際にはうっすらと目が覚めることもありますが,お酒を飲まなかった日は朝までほとんど目が覚めない,ぐっすりということもあるのです。医学的なことはよく分かりませんが,よく眠れる傾向にあることは間違いありません。
いずれにしても,この実験は気が変わらない限り,今後も続けたいと思います。かつて私は,家庭内で「連続禁酒法」という法を制定したことがありました。必ずしも禁酒しなくても良いけど,2日連続で飲んではいけない,これに違反した場合にはブタの貯金箱に500円硬貨を罰金として入れなければならないという立法措置を講じたのです。しかしこの法はほどなく,そしていとも簡単に死文化しました。全く守られなかったのです(笑)。
朝のうちは「よしっ!今日は休肝日だ。」と固く誓って出勤するものの,一日の仕事が終わって夜のとばりがおりる頃になると,悪魔の囁きが耳元で聞こえてくるのです。「あんた,今日も仕事よく頑張ったね。」,「自分を褒めたくならないか?」,「どうだ,ゆっくり寛いで一献傾けるのもいいじゃないか。」などといった囁きです。意志の弱い私は当然この誘惑に負けてその晩も飲んでしまうのです(ただし私の場合は,外で友達と飲むときは羽目をはずすこともありますが,自宅で晩酌の時はせいぜい350mlのビール2缶程度で終わります)。
それにしても,人間というのは成長するもので,私のような者でもやればできるんです。やろうと思えば1週間のうち半分程度は休肝日を設けることができるんです。体重が減って小顔になり,ぐっすり眠れて割と爽快感がある。いつまで続くか分かりませんけど,この実験は当分の間は続けたいと思います。
この年末年始は,12月30日,1月2日,1月4日にゴルフをいたしました(笑)。
このうち1ラウンドだけはまあまあ良いスコアが出たのですが,あとは不本意なものでした。急に変なことを申しますが,私のこれまでの比較的長いゴルフ歴を振り返ってみますと,キャディーさんが美人である場合は決まってスコアが良くありません。これは残念ながら経験上はっきりとしています(笑)。断言できます。
なぜそうなってしまうのか・・・。同伴者の一人がチクリと言っておりましたが,それは「邪念があるからだ。」と。カッコいいところを見せたい気持ちが強くて,平常心を失うからだと。
私の場合,虚心坦懐に振り返ってみますと,確かにそうかもしれません(笑)。たまたまあるゴルフ場で,タレント・女優の柴田理恵さんに瓜二つのキャディーさんが付いてくれたことが二度ほどあったのですが,二度とも好スコアでした(笑)。いずれにしても,これからはどんなに美人のキャディーさんが付いても,「邪念」というものを捨てて,達観した気持ちでゴルフを楽しみたいと思います。
年末年始には娘が帰省し,10日間くらい我が家で一緒に過ごしたのですが,娘が面白いユーチューブの動画を私の携帯電話に送ってくれました。「童謡こどもの歌コンクール」で2歳の女の子が「いぬのおまわりさん」の歌を歌っている動画です。
これは本当に癒されます。むちゃくちゃに可愛いのです。ストレスを感じる仕事の合間にこの動画を何度も再生しております(笑)。「いぬのおまわりさん 2歳」とキーワードを入れて検索すればすぐに出てきます。
それにしてもこの2歳の女の子,2番まで全部歌詞を覚えていますし,身振り手振りを加え,音の強弱をつけて上手に歌っております。歌詞を全部覚えて堂々と歌うのですから,ひょっとしたらずっと目線を落として原稿を読んでいる菅首相よりも頭が良いのかもしれません(笑)。
「いぬのおまわりさん」は歌詞が2番までですが,結局はからすに聞いてもすずめに聞いても子猫ちゃんの家はどこなのか分からずじまいとなっており,いぬのおまわりさんはやはり困ってしまってワンワン鳴くばかりの歌詞となっていまして,歌だけではハッピーエンドとはなっていません。でも,「いぬのおまわりさん」には絵本も存在するようであり,この絵本では無事に子猫ちゃんはお母さんの元に帰ることができたようです。
くどいようですが,さきほどの2歳の女の子の「いぬのおまわりさん」の動画,べらぼうに可愛いですよ。
小惑星探査機「はやぶさ2」は,気の遠くなるような総移動距離約52億4000万キロの長旅を終え,見事に小惑星リュウグウの試料が入ったカプセルを地球にもたらしてくれました。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の技術力の高さに感嘆し,その直向きな努力には頭が下がる思いです。
それにしても,難易度の高いミッションを見事にやり遂げ,休む間もなく新たな任務遂行のため小惑星1998KY26の探査に向けて,約100億キロの長旅へと旅立った「はやぶさ2」の存在には大きな感動を覚えます。私も歳のせいか涙もろくなり,どうしてもこの小惑星探知機を擬人化してしまうのです。そうです,2010年6月に我々を熱狂させ,感動させた「はやぶさ」と同様,その後続機であるこの「はやぶさ2」もやはり,まことの武士であったのです。
初号機であった「はやぶさ」は,大気圏に突入した後は自らは燃え尽きてしまい,探査成果物であるカプセルのみを見事に地球に帰還させました。その感動的な姿を見て,私は2010年6月15日のこのブログで「『はやぶさ』はまことの武士であった」という見出しの記事を書きました。あれから10年経ったのですね。
日本国,そして生みの親である宇宙航空研究開発機構(JAXA)に対する忠義,自己犠牲を伴う任務遂行,散り際の潔さ,正に武士道精神そのものだと思ったのです。休む間もなく別の小惑星1998KY26の探査に向かった「はやぶさ2」も正に同様で,イオンエンジンの燃料の残量が約半分であり,これから約11年をかけて約100億キロを走行するのですから(到着予定は2031年7月),片道切符なのです。そうです,もう「はやぶさ2」が地球に帰還することはないのです。その散り際(去り際)の潔さ・・・。正に武士です。あっぱれです。
地球をつくる鉱物,海の水,生命の原材料物質は,太陽系初期には原始太陽系星雲の中で密接な関係を持っていたと考えられており,始原的な天体であるC型小惑星(リュウグウ)から採取したサンプルを分析し,太陽系空間にあった有機物や水がどのようなものであったのか,またどのように相互作用し共存してきたかを探ることで,生命の起源にも迫ることができると期待されています。このたびの「はやぶさ2」がもたらした探査成果物(試料,サンプル)が無駄にならないよう,そして所期の目的の一部でも果たされるよう願ってやみません。
もうこの歳になりますとね,ふっとしたことで遠い昔のことを思い出すのですよ(笑)。
まだ私が20代の頃,1年間東京で長期の研修を受けていたことがあり,その修了記念誌にアンケートに答える部分があり,「理想の女性は」との問いに「ダニエル・ダリューとドナテッラ・ダミアーニ」などと若気の至りで答えたことがありました。今思えば恥ずかしい限りです。当時はよく名画座で映画を観ていて,登場する女優さんにその都度一目ぼれなどしていたのですよ。
ダニエル・ダリューはご存じフランスの女優で,私は「うたかたの恋」の悲恋の令嬢マリー役の彼女に一目ぼれ(笑)。そして,ドナテッラ・ダミアーニはイタリアの女優ですが,それほど有名ではありません。でも,フェデリコ・フェリーニの「女の都」に出演していたダミアーニはとても魅力的で,これまた一目ぼれ(笑)。そんなこんなで,件のアンケートの頃は私の中ではこの2人が理想だったのでしょうね。理想てったって,お付き合いしたこともないのにね。
フェリーニの映画は本当によく観ました。順不同ですが,「道」,「81/2」,「カビリアの夜」,「カサノバ」,「サテリコン」,「甘い生活」,「そして船は行く」,「女の都」,「アマルコルド」など。「道」は何といってもジュリエッタ・マッシーナという稀代の女優(フェリーニの奥さんになります)の好演で我々を泣かせますが,その他は何やら未知の不思議な世界に誘われるようで,理屈抜きで映画というものを楽しませてくれるのです。これはやはり体験した者でなければ分からない。
今ではいわゆる名画座という存在が少なくなり,フェリーニの映画が無性に観たくなってもかなわず,せいぜいDVDを買ったり,借りたりして自宅のテレビで見るしかないのは残念な限りです。そして,フェリーニの映画で登場する音楽でピッタリはまっているのが,ニーノ・ロータの曲です。ロータには「太陽がいっぱい」や「ゴッドファーザー《愛のテーマ》」などの名曲がありますが,特にフェリーニの映画にはとても良くマッチしているのです。
このニーノ・ロータという作曲家よりも少し若い世代になりますが,エンニオ・モリコーネという作曲家の曲も誠に素晴らしい。私は今も思い出すのですが,平成元年の8月頃でしたか,「ニュー・シネマ・パラダイス」という傑作を観終わって涙が止まらないほど泣かされたことがありました。特に,「愛のテーマ」が流れると,パブロフの条件反射のように泣けてきてしまうのです。この「ニュー・シネマ・パラダイス《愛のテーマ》」という曲,旋律を聴くと自然に涙が流れてくるのです。抗えない。
エンニオ・モリコーネという作曲家もやはり映画音楽の世界では巨匠の一人でしょうね。その秀逸な作品群の素晴らしいこと。そのモリコーネも今月6日に91歳で鬼籍に入りました。ご冥福をお祈りいたします。
いよいよ大人のピアノ教室も再開となりました(笑)。いわゆるコロナ禍でピアノのレッスンも休講となり,私は3月上旬から通っていなかったのですが,先週の金曜日に3か月半ぶりのレッスンがありました。
レッスンがないと練習をさぼり勝ちなのですが,実際にこの3か月ほどの間は,全くピアノの練習をしていませんでした(笑)。毎週4~5曲くらいの課題が出されるのですが,今チャレンジしている曲のうちの1曲は,モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」です。でも実はこの曲の練習はどうにも気が進まないのです。
その原因は何となく分かります。要するに私は昔からモーツァルトの曲は好きではないのです。自慢じゃないけど,そして世のモーツァルティアンからは猛反撃を受けるでしょうが,今までモーツァルトの曲を聴いて感動したことは一度もないのです。バッハの曲を聴いて数えきれないくらい涙ぐんだのとは対照的です。
平成20年にノーベル物理学賞を受賞された益川敏英博士が,「モーツァルトは『天才』ではなくて『天才的』なの。だから嫌いなの。つまり、やりっぱなしで磨きをかけてない。推敲してないんです。」とコメントされた記事を読んだことがありますが,分かる気がします。でも,さきほどの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」,これを練習して何とか先生に〇をもらわなければ先に進みませんので,やっつけたいと思います。
話は全く変わりますが,先日,相変わらずボサーっとテレビのコマーシャルを見ていて思ったのですが,いわゆる増毛というのはとてもアコギな商売ですね。自生している1本に数本を結び付けて髪が増えたように見せかける。でも,その自生している1本にかかる負荷は数本分なのではないでしょうか。例えば,櫛でとかしたり洗髪したりする時など・・・。
端的に申しましょう。その自生している虎の子の1本が抜けたら,それに結び付けられた数本が一挙に抜けてしまい,すごく刹那的な処置だと思うのです(笑)。結局,薄毛には薄毛になる原因があるのですから,体の内側から改善していかなければならないのではないでしょうか。何とか自生している髪1本に数本を結び付けて,いじめるべきではありません(笑)。私ももう相当な年齢です。諸行無常,盛者必衰の理です。秋冬になれば木の葉も散ってしまうでしょう。年齢相応に薄くなるのは必定なのですから,もはやジタバタしません。「是非に及ばず!」
父の日のプレゼント。東京で一人暮らしをしている娘からマッサージ機の贈り物が届きました。感謝,感激です。私などは特に首や肩が凝りやすいので,早速使ってみましたら気持ちいいのなんの・・・。
たまたま台所でコーヒーを入れようとして天袋を覗いてみましたら,「ぐりとぐら」の絵が入り,「すべてのことについて かんしゃしなさい」という文字の入った可愛らしいマグカップを見つけました。これは娘が幼稚園の卒園記念に園からいただいたマグカップでした。
そうか,娘は私にも感謝の気持ちを忘れないでいてくれたのか。ありがたいと思いましたし,私も娘に感謝しなければなりません。
先日,行きつけのスナックのママに「大村知事に似てますね。大村さんを少しハンサムにした感じ・・・。」と言われてしまいました。私は典型的なB型でマイペース。あまり物には動じないタイプですが,この言葉には相当に精神的な打撃を受けました(笑)。
少しハンサムにしたとフォローはされても(しかも「少し」ときた。),何の救いにもなりません。うまい酒が少し不味くなったことはいうまでもありません。それに,あの中国共産党の傀儡,WHO事務局長のテドロスなる人物の顔は,大村知事の顔とは「顔面相似形」と言われております。
ということは,私の顔はテドロスの顔を少しハンサムにした程度ということに論理的にはなってしまいます。正に断腸の思いです。さらには,私の可愛い一人娘は,幼い頃から今日に至るまで,父親似と言われてきました。・・・ということは,私の可愛い一人娘の顔も,大村知事やテドロスに似ており,それを少し良くした程度ということが帰結されてしまいます。娘がこのブログを読んでしまわないように願って止みません。いやはや,つくづく悲しい出来事ではありました。
しかし,人生捨てたものではありません。うちのカミさんが先日気を利かせて,私が知らない間にテレビで放映された貴重な番組,映像を録画してくれておりました。本当にありがたいことです。これは嬉しいこと。
その番組というのは,NHKの「BSプレミアム」という番組で約4時間にわたる長時間放送でした。3部構成で,第1部はあの憧れのマウリツィオ・ポリーニ演奏のベートーヴェン後期3大ピアノソナタ(第30番~第32番)です。第2部は,リッカルド・シャイー指揮,ルツェルン祝祭管弦楽団演奏のラヴェル名曲集。そして第3部は,バッハの「ミサ曲ロ短調」で,ヘルベルト・ブロムシュテット指揮,豪華ソリスト陣による演奏です。
私はこの番組の存在を全然知らなかったのですが,うちのカミさんが風呂上りに何気なくテレビのスイッチを入れたところ,私の憧れであるポリーニの雄姿を見て直ちに録画してくれたのです。
それにしても2年前の10月,やっとのことで手に入れたポリーニの演奏会(東京公演)がポリーニの体調不良で当日キャンセルになってがっかりしたことがあったのですが,この番組での演奏はそれから約1年後のものです。1960年第6回ショパン国際ピアノコンクールにおいて,弱冠18歳で圧倒的な演奏をして優勝してからもう60年が経ちます。彼ももう78歳です。
でもその番組で視聴したポリーニの演奏は,やはり聴く者をして深く感動させる円熟した演奏です。演奏後のポリーニの顔を見ていますと,何か「これが私の遺言です。」といったような顔をしているのです。それを見ると目頭が熱くなってしまいます。いつも思うのですが,演奏直後に聴衆に向かってお辞儀をするポリーニの表情は疲れ切っています。やはりこれは彼の誠実さの表れだと思います。全身全霊で一つ一つの曲に取り組んでいるのでしょう。彼は間違いなく20世紀後半を代表する偉大なピアニストであり,至高の存在でしょう。願わくば,もう一度ポリーニの演奏を生で聴きたいものです。