6月上旬に,2泊3日でちょっと北海道へ行ってまいりました。普段は真面目に一生懸命に仕事をしておりますので,自分へのご褒美という訳です(笑)。メンバーは私を入れて5人で,業種も様々,気が置けない気楽な人たちです。
ゴルフは二度楽しみました。初日は最近にない好スコアでしたが,翌日のスコアは惨憺たるものでした。一体全体,どちらが本当の私なのか・・・。ただ一つ言えることは,私の場合ドライバーの調子の良い時は好スコアに繋がり,悪いときはその逆だということです。それにしても,二日目は雨天でしたが,初夏の北海道でのゴルフは本当にいいものですね。
そして夜はジンギスカンであったり,新鮮な海の幸であったり,明日への鋭気を十分に養いましたし,とてつもなく美人のママのクラブでは貸し切り個室でカラオケも堪能しました。みんな羽目を外して歌いまくっておりました(笑)。ただ,いずれの夜も,飲んだ後ホテルに帰る前にラーメンで締めてしまったため,体重が少し増えました。でも,私は後悔はしておりません。札幌に来てラーメンを食べないという選択肢は絶対にないからです(笑)。
さて,それにしても私が泊まったホテルは中国人だらけでした。朝食バイキングでもそうでしたし,何と,厨房内の従業員も中国人だったとのこと・・・。いったいここはどこの国なのかと思ったほどです。私がエレベーターで11階からフロント階(2F)に降りる時,途中の階で二人の中年女性がドカドカと乗って来ましたが,いきなりエレベーター内で他の客(私だけ)そっちのけで大音声による中国語の会話が始まり,そのまま絶えることがありません。私がエレベーターボーイのように開閉ボタンを操作したのですが,彼女らは当然のように悠然とエレベーターを降り,会釈の一つもありません(苦笑)。
このような光景は私の出張先でもよく見られるようになり,また,特に北海道などでは得体の知れない中国資本等によって土地が買われたりもしておりますし,対馬などでは韓国人旅行者による傍若無人ぶりが伝えられてもおります。ホテル,旅館,リゾート地など観光業に携わっている方々は外国人旅行者様々なのでしょうが,過度にそれに依存してしまう状況が続きますと,逆に日本人旅行者の方が,中国人旅行者等であふれかえったホテルや旅館を敬遠してしまう傾向のあることも否定できません。私なども,癒しや静謐を求めて温泉場などをよく訪れましたし,これからもそうしたいのですが,その旅行意欲をぶちこわし,萎縮させるような状況には遭遇したくはないのです。
料簡が狭すぎるでしょうか。
私は東京出張の際にはよほどのことがない限り,上野の鈴本演芸場へ足を運んで落語を聴きます。機会があればいつでも,落語という素晴らしい日本の話芸に接したいのですよ。それにしても世代的に無理だったとはいえ,本当は5代目古今亭志ん生という名人の高座を,聴き手として体験したかった。5代目古今亭志ん生が亡くなったのが昭和48年9月21日ですが,最後の寄席出演が昭和43年のことであり(上野鈴本演芸場),その当時私はまだ名古屋市在住の小学生ですから,やはり無理だったのです。
5代目古今亭志ん生の評伝などを読むに付けても,落語家としては凄い存在だったようです。つい最近,「志ん生のいる風景」(矢野誠一著,河出書房新社)という文庫本を読んだのですが,ますますその感を深くします。著者である矢野誠一の文章が味わい深くて素晴らしく,やはりこの稀代の落語家に間近で接していなければ書けない内容です。この落語家に対する矢野誠一の憧憬,尊敬,情といったものはこの本の序章を読めばすぐに理解できます。序章はたったの2行で,次のようなものです。
「古今亭志ん生。五代目。本名、美濃部孝蔵。僕の、いちばん好きな落語家である。」
志ん生の破天荒な人生は,とても真似できるものでもマネしたいとも思いませんが(笑),生き様そのものが落語みたいなもんです。志ん生を名乗るまでの間,全部で16回にわたって改名しているのですが,そのように頻繁に改名した理由の多くは借金取りから逃れるためだったようですし(笑),若い時分の放蕩無頼の暮らしぶり,一升酒,二日酔いや気分が乗らない時などは平気で高座に穴をあけ,高座に上っても途中で寝てしまうこともあったのです(笑)。
しかしそれでも,落語家としての芸そのものは超一流で,これまた名人と言われた8代目桂文楽とはライバル(好敵手)であり,私生活でも互いに尊敬し合っていました。昭和46年12月9日には妻のおりんさんが逝去,葬儀が12月11日で,その翌日に8代目桂文楽が逝去しました。志ん生は妻の葬儀でさえ涙を見せなかったのですが,文楽の訃報に接した時は「皆、いなくなっちまった。」と言って号泣したと伝えられています。
志ん生としては落語家として生涯現役を目指していたと思われますが,残念ながら昭和36年12月15日(71歳の時),高輪プリンスホテルで開かれた巨人軍の優勝祝賀会の余興に招かれた際に脳溢血で倒れてしまいました。以後は右半身が不随になり,その後は落語家としては十分な活躍ができなかった。この余興の時の志ん生の気持ちは察するに余りあり,彼は立場上自分を押し殺して我慢をして高座に上がったに違いありません。その辺りの事情は,この本の「7 冬の夜に」の箇所で詳細に描写されております(194~198頁)。この箇所を読みますと,ちょっと切なくなります。
私の同業者で10歳上のS先生という人が,この5代目古今亭志ん生の大のファンであり,彼と一献傾けますと志ん生のことも話題に上ります。彼は,「なめくじ艦隊」や「びんぼう自慢」などといった本も所蔵しているとのこと。今度これらの本をお借りする約束ができております。
うちのカミさんが外出し,私がひとりぼっちで夕食をとるような時もありますが,そんな時は無聊を慰めるため5代目古今亭志ん生の落語をCDで聴いてみようと思っております。
遅ればせながら,改元後の最初のブログです。皇太子様は5月1日,第126代天皇に即位され,30年あまり続いた「平成」から同日「令和」に改元されました。皇室の弥栄を心よりお祈り致します。
私の拙い文章ではうまく表現することはできませんが,世俗的な権力がどのように変遷していこうと,民の竈の火を思いその安寧を祈り続けてこられたのが天皇陛下です。権力はなくても,権威というものがあるのです。明確に意識するしないにかかわらず,天皇の存在を心の拠り所として国民が高い民度を保って統合しているというのが,日本という国の国柄です。人に人柄というものがあるように,国にも国柄というものがあるのです。富士山,桜,城郭,神社仏閣,多様な伝統文化,風光明媚な豊かな自然,思いやり,人に迷惑をかけない配慮,治安の良さ,食べ物の美味しさなどなど,日本人に生まれてつくずく良かったと思っております。
さて,この連休中はあれこれ仕事もありましたが,何とかゴルフは2ラウンドできました(安倍晋三首相は3ラウンドされたようですが)。また,何冊か読書も楽しみました。
連休中に読んだ本の中に,「ご笑納ください-私だけが知っている金言・笑言・名言録-」(高田文夫著,新潮文庫)というのがあります。あの著名な放送作家の高田文夫さんがこれまで会った様々な人々とのやり取りの中で,とっておきの金言,笑言,名言を面白おかしく紹介した本です。
本を読んで笑ったというのは久しぶりですが,やはり「笑言」が面白い。いっぱい紹介したいのですが,私もこれから連休明けの仕事がありますから,ほんの一部だけご紹介いたします。俳優の三宅裕司さんという個性豊かな方がおられますが,実はその配偶者,ご夫人が本当に面白い(笑)。いい味を出しています(同書226頁)。
「おなじみ爆笑、三宅裕司夫人。知り合いが集中治療室(ICU)に入った。あわてて病院の受け付けで『すいません、CIAはどこですか?』。聞かれた方も少し考えて『うーん、アメリカじゃないんですか』。」
「『私、午後から〝ゴルフのめった打ち〟に行ってくるから』それを言うなら〝ゴルフの打ちっぱなし〟である。」
次に,元プロボクサーのガッツ石松さんもいい味出しております(笑)。「クイズタイムショック」の回答者として出演した時のガッツ石松の答え(同書162~163頁,251頁)
「太陽はどこからでるでしょう?」
「右!」
「亀を英語で何と言う?」
「スッポン!」
「12月25日はクリスマス。誰の誕生日?」
「七面鳥!」
「エジプトの首都は?」
「ピラミッド!」
「好きな数字は何ですか?」
「ラッキーセブンの3!」
「プリンセス プリンセスは略してプリプリ。では、ドリームズ・カム・トゥルーは何?」
「ドリンセス カムンセス」
いやー,すごいですね(笑)。あとは,私はよく知らないんですけど,芸人さんで「銀シャリ」の鰻和弘さんのことも書いてありました(同書250頁)。
「マネジャーと喫茶店に入り『僕はアイスコーヒー。ホットで』と平然と注文したという。初めて東京ドームに行った時、あまりの大きさに驚いて『めっちゃ広いなこれ。東京ドーム6個分はあるわ』」
久しぶりに風邪をひきました。私はこれまで風邪をひきにくく,やっぱり毎朝食べている納豆などが腸内環境を良好に保っているから,風邪をひきにくいのだと勝手に思い込んでいました(免疫細胞の約7割は腸に存在するとも言われております)。
でも今回の風邪は,風邪気味といった生やさしいものではなく微熱も続きましたし,くしゃみ,鼻水,鼻づまり,そして痰が絡んで夜中に目が覚めるといった具合で,厄介でした。自分も年なのかなあ,あまり無理をしてはいけないなと思った次第です。確かにここ10数日は,外出,会合出席,飲み会などが続いてかなり疲れてもいました。
風邪の症状に悩まされていた先日,どうしても打合せと飲み会に参加せざるを得ず,体調的には辛かったのですが,何とか参加しました。ところがその晩,二次会でお酒を飲みながらカラオケで歌いまくったら,何と見事に風邪の症状が退散し,元気になってしまったのです(笑)。えーと,その晩は何を歌ったかな。いつも同じ歌だと揶揄されながらも,たしか次のような歌を歌いまくった記憶です。
「闘魂こめて」(読売巨人軍の応援歌)
「スローモーション」(中森明菜)
「セカンド・ラブ」(中森明菜)
「YaYa(あの時代を忘れない)」(サザンオールスターズ)
「まちぶせ」(石川ひとみ)
などなど・・・
私は風邪をひいても,いわゆる市販の総合感冒薬というものはめったに服用しません。いろんな症状に効く有効成分が多く含まれており,自分の症状には必要のないものまで含有しておりますし,場合によっては副作用も指摘されています。物の本によりますと,熱も,くしゃみも,その他の不快な症状も,かわいい健気な自分の体が必死にウイルスと戦ってこれを排出しようとしている時に出る現象です。下手に総合感冒薬などを服用してしまうと,一旦は症状が緩和されたとしてもかえって風邪が長引いてしまう可能性もあります。
やはり経験的に言いますと,お酒を飲んで喉などのアルコール消毒をし,カラオケで歌いまくるのが特効薬だと思われます(笑)。
風邪が全快したところで,先日豊田スタジアムまでカミさんと一緒に出かけ,名古屋グランパス対ジュビロ磐田の試合を観戦してきました。結果は1-0で辛勝したといった所でしたが,その試合を観る限りグランパスの強さというものはあまり感じさせませんでした。残念ながら・・・。第1に相変わらず守備の意識が希薄で,相手選手に対するチェックやプレスが甘い(好きにプレーさせている),第2にパスミスが多い,第3に視野が狭くてサイドチェンジなどができず,スペースを有効に活用できていない,第4に攻めが極端といってよいほど遅く,中盤でボールをもった直後の展開の仕方についての選手間の約束事(共通理解)がないと思われる,第5にキレのあるドリブラーが存在しないなどといった印象をもちました。
でもまあ勝利は勝利です。勝つ事は重要であり,現在は名古屋グランパスはJ1の18チーム中の第3位につけています。何となくですが,今年は昨年のように少なくとも残留争いに加わることはないのではないかと思います。そして我が栄光の読売巨人軍,今日先発の菅野投手で勝利を収めれば15勝7敗となり(現在第1位),開幕スタートダッシュには成功したと言えるのではないでしょうか。
うちのカミさんも先日観戦した名古屋グランパスの勝利にはご満悦のようでした。ただ今ひとつ私が気になっているのは,我が家の冷蔵庫にマグネットで固定されているメモの存在です。このメモはカミさんが作成したものに間違いありませんが,そのメモには「パピパピ プペプペ パピプペポ」と何やら怪しげな文字が記されております。カミさんの気が確かなのか一抹の不安はありますが,これが何を意味するのか勇気を出して尋ねてみたいと思います(笑)。
昨日はナゴヤドームで巨人・中日戦を観戦しました。巨人の選手が喫した17三振というのは不安を覚えますが,試合は3-1で何とか勝利し,うれしくてお酒も進みました(笑)。
そして本日,第77期将棋名人戦が始まり,佐藤天彦名人と豊島将之二冠との間で第1局が指されております。思えば昨年の5月,第76期将棋名人戦第5局の前夜祭の時,羽生善治永世七冠と佐藤天彦名人との間に挟まって写真を撮ってもらった貴重な経験をしました。あれからもう1年弱が経とうとしております。時間が過ぎるのは早いものです。
将棋といえば,私も昭和の香りのする行きつけのスナックで将棋を指したり,興に乗った時などは,似合わないなどと言われつつも村田英雄の「王将」なんかを歌ったりします。
村田英雄さんは,紅白歌合戦でも「王将」という曲を歌われ,浪曲師から歌手に転向した昭和の名歌手として惜しまれつつ亡くなりましたが,いろいろな伝説,エピソードをお持ちですね。中には話のネタとして誇張されたり,作り話が紛れ込んだりしているものもあるようですが,思わず噴き出してしまうような伝説,エピソード,作り話があります。ウィキペディアなどに記載されているものをご紹介しますと・・・。
① 出国カードの性別(SEX)欄に男か女かをチェックすべきところ,勘違いして余白部分に「週2回」と書いた(爆笑)。
② 朝,ホテルのレストランで「和食にしますか?洋食にしますか?」と尋ねられ,「バカヤロウ!朝食だ!」と答えた。
③ 司会者から「この歌は村田さんの『十八番』ですね。」と尋ねられ,「この歌は3番までしかないよ。そんなにある訳ない。」と答えた。
④ 若手を説教していた際,「字には意味があるんだ。人という字はお互いに支え合って・・」と言いながら「入」と書いた。
⑤ レストランでステーキの焼き具合を聞かれ,マネージャーはレア,付き人はウェルダン,そして村田先生は「俺はカルビ!」(爆笑)
⑥ 村田先生の周囲が騒々しかった・・すると,「もう少し静かに話せ!俺は神経がバリケードなんだ。」(爆笑)
⑦ 放送作家の高田文夫は,ラジオ番組「オールナイトニッポン」などで当時余りにもネタにされ過ぎたことに不満を感じた村田英雄が,若い衆に「自分の所に連れてこい。」と命じ,ビートたけしと高田文夫を呼びつけて説教した時の逸話を語っている。この時村田は,「いいか,たけちゃん。いや,たけし。お前は漫才師だ。俺は歌手だ。高田,お前は作家だ。お互い仕事のジャングルが違うんだ。俺のジャングルに入って来るな!」それを聞いた高田とたけしは,「俺らターザンじゃねえ。」と小声で呟いた(爆笑)。
さあ,第77期将棋名人戦の第1局,どちらが勝つでしょうか。
自宅近くの並木道沿いの桜が見事,満開となりました。ここの桜はソメイヨシノではなくオオカンザクラという品種で,ソメイヨシノよりも毎年2週間ほど早く開花するのです。いいですね,桜というのは。何となくうれしくなってきましたので今夜も一杯やるとしましょう(笑)。
さて,私の名前は茂というのですが,とても昭和らしい名前で,亡き父が吉田茂元首相の名前を参考にして付けてくれました。もちろん父には感謝しております。ただ,戦後の首相として私がダントツに尊敬しているのは岸信介元首相です。岸信介と吉田茂を政治家として比較した場合,愛国心,誠実性,頭脳の明晰さ,判断の的確性,勇気などいずれの面でも岸信介でしょう。どうせ政治家にあやかるのなら,信介と命名してくれていたら・・なんて思ってしまいます(笑)。
新聞を読んでいましたら,先ごろ,「王子様」と命名された山梨県に住む高校三年の男性が,甲府家庭裁判所に名の変更(改名)審判を申し立て,無事にこれを許可する審判が出されたとのことです。何よりです。いわゆるキラキラネームにもいろいろありますが,「王子様」というのにはビックリしました。この高校生はいろいろと苦労をされたようです。カラオケなどの会員証を作る時,店員には偽名ではないかと疑われるし,高校に入って自己紹介をしたら,女子生徒に噴き出されたり・・。命名する親の方も,もう少し想像力というものを働かせるべきでしょう。例えば,自分の子どもが将来の採用面接を受ける際などに,面接官や企業の人事担当者がどのように感じるかということを。
先日の産経新聞の「産経抄」には,名前のことに関し,平成11年に74歳で亡くなった喜劇役者,三木のり平さんの名前のことが書かれておりました。彼の本名は田沼則子だったそうです。「のりこ」ではなく「ただし」と読む。命名したお父さんは,「孔子,孟子と、子がつく男は立派になるんだ。」と言って,妻の反対を押し切ったとのこと。
のり平さんが小学校に上がる時,学校に入学通知を持っていくと,「だめだよ、お姉さんの通知状を持ってきたりしたら」などと叱られたり,名前のことをからかわれて随分喧嘩などもしたようです。
親が付けた名前が時には子供の運命を変えてしまうこともあるという意味で,「産経抄」は,のり平さんの有名なエピソードにも触れていました。大東亜戦争が激しくなって,小学校の同級生が次々に徴兵検査を受けるようになっても,のり平さんには何の音沙汰もない。区役所に問い合わせると,戸籍謄本の彼の性別の欄が女になっていた。召集令状が来るのも遅れてしまい,入隊の日には既に戦争が終わっていたという逸話です。
私の場合は茂ですから,みなさん例外なく「しげる」と読んでくれますし,女性に間違われたこともありません。
予報どおりだったとはいえ,今朝起きたら雨でした。傘を差しながらの徒歩通勤でしたが,私はこの春雨というのが嫌いではありません。寒々としてはいませんし,むしろしっとりとした風情があります。
事務所内の私の机の片隅には,とうの昔に読んでしまった本が山積みされているのですが,その中に偶然,「春雨物語」(上田秋成著,角川ソフィア文庫)という本がありました。上田秋成といえば「雨月物語」が有名ですが,確かに「雨月物語」は素晴らしい作品です。でも,大正期には芥川龍之介,谷崎潤一郎,佐藤春夫が鼎談し(「あさましや漫筆」),「雨月物語」を真似ることはできても,「春雨物語」はとても及ばないという意味で,「雨月物語」以上の評価がなされたということもございます。
上田秋成の素晴らしい才能は言うまでもありませんが,一方,同時代に生きたあの「古事記伝」の本居宣長の業績や学問に対する真摯な姿勢は敬服に値します。その本居宣長と上田秋成との間で,いわゆる「日の神論争」として激論が闘わされたことは有名です。この激論に関しては,確かに上田秋成の方が合理的,そして論理的であり,今はやりのディベートとしての評価でしたら,秋成の方に軍配は上がるでしょう。でも,私はこの論争では心情的には宣長に与したい。やはり,「漢意(からごころ)」を排し,「やまとごころ」を称揚しようとした宣長の方に強いシンパシーを覚えるのです。評論家小林秀雄が述べるように,この論争については,合理性を追求する現代人としては秋成に軍配をあげつつも,それだからといって古学者宣長の学問の優秀性に疑いはないのです。
さて,さて,名古屋グランパスは一体全体どうしちゃったのでしょうか。春の珍事という訳でもないでしょうが,開幕2連勝で,あろうことか18チーム中首位に立ってしまっています(笑)。昨シーズンは失点の多さは最下位タイだったのに,2試合を終えて未だ失点ゼロです。
まだまだ今シーズンの名古屋グランパスの評価をするのは早いでしょうが,試合を観ている限り,明らかに昨シーズンと違うのは,厳しいチェックをし,素早くプレスをかけ,相手選手に好きにさせない意識が徹底しているということです。そう,守備の意識です。以前から私がくどいほどに指摘していたことです。まるで私の忠告が誰かを介して風間監督に伝わったかのようです(笑)。それにしてもオーストラリア代表のランゲラックというゴールキーパーは本当に素晴らしい。この貴重な選手は絶対に手放してはなりません!
そして,どうでしょう。我が栄光の読売巨人軍。今年のジャイアンツは強いですよ,ホントに(笑)。補強に成功したと見ています。そして,今年は少なくともセ・リーグのペナントは獲得するでしょう。今から開幕が楽しみで仕方ありません。
私たち夫婦の結婚記念日は,2月22日です。先週の金曜日に自宅でささやかながら結婚記念日のお祝いをしました。
結婚してからもう32年が経ちました。別にのろけるつもりはありませんが,うちのカミさんは,本当にありがたいことに,これまであまり不平,不満も述べずに家事,育児,仕事の手伝いなどをやってきてくれました。心の中では大変感謝しております(笑)。ただ,感謝の気持ちというのは心の中に抱いているだけではだめで,たまには表現しなければ相手に伝わりませんね。
結婚30周年の記念日は「真珠婚式」というのだそうです。2年程遅れましたが,感謝の気持ちとして真珠にちなんだ贈り物をしたのですよ(笑)。大したものではありませんがね・・・。気持ちですからね。
結婚記念日と申しましても,婚姻届が受理された日(入籍日)とするのか,挙式(披露宴)の日とするのか,あるいはその他の日にするのか,夫婦によってまちまちのようですが,あるアンケートによると70%を少し超える組が入籍日とし,14%程度が挙式(披露宴)の日にしているようです。
私たち夫婦の場合は,挙式(披露宴)の日を結婚記念日としてきました。挙式(披露宴)の日を2月22日としたのは私の提案でした。2月か3月頃にしようということは話し合っていたのですが,それだったら私がその当時大好きだったショパン(作曲家のフレデリック・フランソワ・ショパンのこと)の誕生日の2月22日にしようよということだったのです。
ところが,昔から,そしてその当時はショパンの誕生日は確かに2月22日とされていたのですが,その後の研究では3月1日というのが有力になっています。でも,結局私たち夫婦は,新婚旅行から帰って来た後の3月1日に婚姻届を提出し,同日受理されているようなので,入籍日は3月1日です。ですからショパンの誕生日について2月22日説を採用しても,3月1日説を採用しても,結果的には私たちの挙式(披露宴)日,入籍日はショパンの誕生日にちなんでいるということになります(笑)。
これは約3年前の厚生労働省の人口動態調査の結果ですが,平成27年の婚姻件数63万5156組に対し,離婚件数は22万6215組で,約2分20秒に1組が離婚している計算になります。
曲がりなりにも32年間も連れ添うことができ,今後も続けて行けそうなのですから(笑),ありがたいと感謝しなければなりません。
また一人,名優が逝ってしまいましたね。ブルーノ・ガンツという名優です。2月16日に77歳で亡くなりました。合掌。
私が初めてブルーノ・ガンツという俳優の存在を知ったのは,私が結婚する前年,彼が主演した「白い町で」(アラン・タネール監督)という映画を観たからでした(シネセゾン配給)。俳優ガンツは,人間の迷い,弱さ,悩み,煩悩などをごく自然な演技で表現し,観ている者をして自然に彼に同化させていくような独特の魅力がありました。そういった俳優でした。ただ,この「白い町で」という映画のストーリーそのものには特に感動させるようなものはなかったという記憶ですが(笑),ブルーノ・ガンツという俳優の存在はその後もずっと私の記憶に残っておりました。
そしてその後に彼が主役を演じた(守護天使ダミエル役),ご存知「ベルリン・天使の詩」(ヴィム・ヴェンダース監督)という映画はとても有名ですし,正に名優としての評価を確固たるものにした作品,演技でしたね。私もこの映画を観ている最中は,ストーリーがあまりよく分からない面もありましたが,その後あらすじを読んでみますと,やはり名作です。
実は私はその後はガンツの映画は観ておりませんでした。でも,2004年に彼が主演した「ヒトラー~最後の12日間~」という映画,彼のアドルフ・ヒトラー役は鬼気迫る名演技だったようですね。本当に味わいのある俳優でした。
それにしても,名古屋は人口230万人を超える都市なのに,アート系の映画を常時上演する名画座がとても少なくありませんか。これが昔から残念で,残念で仕方ありません。東京だったら,例えば,トリュフォーとかヴィスコンティ,ルイ・マル,ブニュエル,フェリーニ,ワイダなどといった昔の名監督の映画を観たいなと思い立ったら,その日どこかの名画座では上演しているような感じですよね。でも名古屋ではそうもいかないのです。これは何とかなりませんかねぇ。
ちょっと前に大寒を迎えたばかりというのに,もう春一番が吹いた地域もあるようですね。だんだん暖かくなり,そしてだんだんと日が長くなる,こういった感じが割と好きです。
さて,新年早々に皆様にお勧めした「東京裁判で真実は裁かれたのか?-パール判事の日本無罪論(判決書第4部)を現代に問う」(都築陽太郎著,飛鳥新社)という本をとうとう読破いたしました。東京裁判で堂々と,そして緻密に,そして極めて説得的に無罪論を展開したパール判事の洞察力,慧眼には驚かされます。改めて申し上げます。この本は,日本国民をいわゆる東京裁判史観(自虐史観)から覚醒させ,真実への到達に裨益する本です。日本国民必読の書と言えるでしょう。さあ,みなさま,早速書店へ!
ただひとつ難点を申し上げますと,この本で引用されているパール判決書も著者である都築陽太郎さんの翻訳にかかるものですが,はっきり申し上げて読みづらい部分が少なからずあります(苦笑)。何度も何度もその文章の趣旨を考えなければならない,推測しなければならないという面があります。所詮,日本文と英文とでは文章の組立方や構文が違いますし,これは翻訳者の都築さんの誠実さの現れかも知れませんが,ほぼ直訳に近くなっているようです。やはり読みづらいのです。せっかくのパール判事の明確な論旨展開があり,その趣旨,意図が読者に伝わってなんぼですから,もう少し大胆に意訳をしてもよかったのではないかという面もあります。ですから,実際のパール判決書の翻訳文献に当たる時は,私は大意がくみ取りやすい他の文献に依ろうと思います。
でもこの本は大変な労作ですよ。一読に値します。
読書の話のついでに,今度は先日途中で読むのをやめてしまった本もあります。私は昔々,NHKラジオの「朗読の時間」という番組で内田百閒の作品を聴き,独特の世界,雰囲気をもった作家だなと感心したものです。いずれは内田百閒の作品を読んでみたいものだと思っていたのですが,たまたま新聞の書評で「第一阿房列車」(新潮文庫)という本を手に入れましたので,早速読んでみました。こういうのが好きな人もいるんだろうな,良い本なんだろうなとは思いましたが,結局は2,3ページ読んで止めてしまいました。少なくともこの文体や斜に構えたような論調についていけなかったのです(笑)。まあ,長い人生,いろんなことがありますわ。
さて,本日のタイトルは「雑感」ですから,取り止めのない話が続きますが,プロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手は本当に凄いですね。とうとう世界ランク1位ですか。あの全米オープンを制したと思ったら,今後は全豪オープン優勝の栄冠にも輝きました。大したものです。
少し気になっているのは,彼女は現在のところ二重国籍で,アメリカ国籍と日本国籍を有していますが,選手登録は日本です。しかしながら,日本の制度(国籍法)では,現在21歳の彼女の場合,22歳までにアメリカ国籍を選択するか,あるいは日本国籍を選択するかの判断を迫られるのです。アメリカ国籍を選択する場合には,日本国籍を離脱しなければならないことになり,日本国籍を維持する場合には,アメリカ国籍を離脱するか,あるいは日本国籍の選択宣言を行い,あとはアメリカ国籍の離脱努力をしなければならないことになります。
彼女にとっては酷な判断を余儀なくされるのかもしれませんが,果たしてどうするのでしょうか。でもどちらにしても,素晴らしいプレーヤーであり,愛すべきキャラクター,メンタリティーを有している人であることに違いはありません。