いや,私は元気ですよ。ピンピンしてます。もうダメかもしれないのは,わが日本国なのです。
石破首相は南米へ旅立ちましたが,この人物は国会議事堂内で行われた首班指名選挙の際に,こともあろうに,そしてあろうことか,居眠り(熟睡)をしていたのです。そのシーンを動画で見ましたけど,その醜悪で平和ボケしまくった姿に暗澹たる気分になりました。それを見ていた麻生太郎元首相は呆れ顔で,少し首をひねり「どうしようもないな。」という表情をしていたのが印象的でした。
次期アメリカ大統領のドナルド・トランプが選挙演説中に暗殺未遂に遭い,耳から血を流しつつも悠然と立ち上がって「俺はこのとおり大丈夫だ!」と言わんばかりに右手を天に向かって突き上げたシーンと,このたびの石破首相の寝姿とは対照的です。
ルッキズムだと批判されそうですし,これは言ってはいけないことだとは思いますが,石破さんという人はどうにも見てくれが悪すぎる。オスカー・ワイルドの小説「ドリアン・グレイの肖像」の中のセリフに「外見で人を判断しないのは愚か者である。」というのがあります。同様に「人の内面は外見に出る。」とも言っており,要するに外見を疎かにしない人は心も豊かということです。私も人のことは言えませんが,石破首相は一国のリーダーですよ。国会議事堂内で醜悪な寝姿を晒すな,と言いたいのです。
それに何ですか,今回の衆議院の委員会等の人事は!これまたあろうことか予算委員長を立憲民主党の安住淳,法務委員長を同党の西村智奈美,憲法審査会長を同党の枝野幸男と次々に重要なポストを譲っております。国会審議を紛糾させたいのかしらね。それに選択的夫婦別姓法案を提出され,由々しきことに採決にもっていかれますよ(現に法務委員長も立憲民主党の野田代表もこの魂胆を明言しています。)。さらには,憲法改正に完全に後ろ向きの立憲民主党の枝野が憲法調査会長というのでは,石破首相はもう憲法改正はやらないという消極的な姿勢を明示したも同然でしょう。
人事と言えば,三原じゅん子が子ども政策担当大臣,生稲晃子が外務政務官,今井絵理子が内閣府政務官・・・。おニャン子などといったアイドルが悪いとはいいませんが,本当に適任なんでしょうか。資質・能力,そして政策等に対する知見など,明らかに疑問があります。多額の歳費をもらって(禄を食んで)重要なポストを占めるのであれば,ちょっとは政策等を勉強してくださいな。石破という人は自らも実際は非保守政治家であるばかりか,起用した官房長官や外務大臣も媚中派,総務大臣も亡き安倍晋三氏を国賊呼ばわりした人物などなど・・・。
一方で,トランプ次期政権は着々としかるべき人事を内定させております。私が期待しているマルコ・ルビオ上院議員は国務長官です。そのカウンターパートは,あの岩屋毅外務大臣です。実質的には全く相手にはされないでしょう(笑)。それに,昨日「週刊新潮」を買って読んだのですが,その記事によると,石破茂とトランプとの電話会談は巷間5分間と言われておりますが,実際にはもっと短く,石破氏がトランプ当選に祝意を述べた後に続けて何か言おうとしたら,トランプは「忙しいから」と言って一方的に電話を切ってしまったとのこと(苦笑)。これはあきまへんわ。
もう,ダメかも・・・。
そりゃ,最悪なのは決選投票に石破茂と小泉進次郎が残り,どちらかが自民党総裁になってしまうことです(笑)。これはいけない。高市早苗候補が是が非でも決選投票に進出しなければなりません。
これまで小泉進次郎の知識や経験不足,不勉強,いわば「底の浅さ」について言及してきましたが,石破茂もやはりダメです。彼は最近,「保守政治家-わが政策、わが天命」(講談社)という本を出したようです。「保守政治家」のタイトルを見て,思わず吹き出してしまいました。噴飯ものなのです。どこが「保守」やねん(笑)。
女系天皇という選択肢を排除しない,選択的夫婦別姓制度を直ちに導入しなければならない,「A級戦犯」が祀られている靖国神社には参拝しない・・・,もう一度言う,どこが「保守」やねん(笑)。
私もこれまでいろいろな文献を渉猟し,保守とは一体何なのかについて考えてきました。その結果,何となく分かりかけてきたのです。保守というものを理解するには,よく対立概念として指摘される革新と対比するのが理解しやすいと思います。
まず革新とは,現状を変えれば世の中はより良くなるだろうと信じて邁進する態度でしょう。とにかく人間理性の力を信じ切っているのです。こうなると,例えばその時の指導者や群衆が良しとすれば,ルイ十六世やマリー・アントワネットだろうがなんだろうが,断頭台(ギロチン)に送って首を切ってしまいます。
一方,保守というのは,人間理性を信じない,その時々の人間の頭の中で考えることには限界があり,ちょっと立ち止まって「(それは守らなくて)本当にそれで良いのだろうか。」と深く考察する態度,姿勢をいい,理性至上主義には陥らないというものです。例えば,男系男子で連綿と126代続いてきた天皇(皇統)を,ある一時代を構成する進歩的と称される人たちの判断で曲げてしまい,女系天皇を誕生させて本当に良いのだろうか。それまでの伝統(それだから尊いと思われるもの)を変えてしまって良いのだろうかと懐疑すべきではないのか,それが保守なのです。
こういった点でも,やはり石破茂はダメなのです(笑)。そしてこれだけは言うまいと思っていたのですが,人相がとりわけ悪いし,喋り方が気色悪い(笑)。ネバネバしている。「・・・ということで本当にいいのか。」,「・・・という問題が生じないのか。」,「・・・ということも考えねばならない。」,「・・・この点はさらに議論を重ねていく必要がある。」などといって,冗長に自問自答を繰り返しながら,結局は自分の意見を言わない(言えない)。首相といえば自衛隊の最高指揮官です。こんなんでは,議論しているうちに敵国ミサイルが本邦に着弾してしまいます。そして,外交の場面で何を議論してもG7の他の首脳から相手にされなくなるし,何よりもその独特の風貌から,相手からはキワモノを見ているような目で見られてしまいます。あー,とうとう言っちゃった(笑)。弁護士,名誉棄損で訴えられる(笑)。
今度の自民党総裁選の投開票はいよいよ明日に迫りました。政策内容からすれば,明らかに高市早苗一択になるのではないかと思っています。出馬会見の際の彼女の言葉,これは映画の一節からの引用だそうですが,これにはじーんときました。
「私たちが生きている『今』。それは偉大な祖先たちが、命がけで守ろうとした『未来』だった。だから私は守ります。今を生きている人々の命を。安心を。そして私はつなぎます。次世代を生きる皆様に、強く美しい日本を。それが今を生きる私たちの責務です。」
保守政治家ならこういうことを明確に訴える力がなければなりません。「保守政治家」という実際と相当に乖離した本を出すだけでは到底保守政治家とは言えないのです(石破茂)。
大西洋評議会グローバルシチズン賞を受賞したメローニ首相の名スピーチには心から感動しました。こういう保守政治家をいただいたイタリア国民は賞賛に値します。
会見場やテレビ番組での討論ということになりますと,やはり小泉進次郎の知識や経験不足,不勉強,いわば「底の浅さ」が如実に表れますね。それは残酷なくらいです。小泉進次郎は昔からルックスの良さなどで自民党議員の応援演説に引っ張りだこでした。人が集まるからです。しかし討論,議論というものがどうやら苦手のようですね。
このたびの自民党総裁選でもPR会社と契約し,何をどう話せば効果的か,見栄えが良いか,もっともらしいかという演出面では一応の工夫が凝らされていますが,やはり質疑応答面では「底の浅さ」が露呈し,馬脚が表れてしまっています。小泉進次郎という人は,出馬会見や普段の応援演説などでは一方的に喋ればよいので(選挙演説の時なんかは,ご当地の話題や方言などを取り交ぜて受け狙いが成功しています),本人も一方的に喋るのは相当に自信があるのでしょう。しかし,個別の質疑応答の場面となると,質問や指名を恐れているようですし,深い知識や経験に裏付けられた議論ができず,抽象的で本筋から外れた当たり障りのない表現しかできません。例えば,カナダのトルドー首相が就任したのが43歳,自分も43歳,胸襟を開いて話し合うとか,拉致問題に関しても金正恩とは同年代,父親同士が会見した歴史を活かすなどといった発言をしていますが,外交や拉致問題はそんな軟な発想で解決できるほど生易しいものではありません。ちょっとは自分の国家観,歴史認識などを自分の言葉で説得的にしゃべったらどうでしょうか。私がこんなに熱くなるのは,自分がイケメンでないことから僻みではなく(笑),本当に日本国の総理大臣が小泉進次郎でよいのか,それで国益を守り,日本の伝統を保守し,経済を活性化させることができるのかと,心から憂えているからです。
それにしても,出馬会見では1年以内に解雇規制の緩和,選択的夫婦別姓制度の実現,ライドシェアの全面解禁に踏み切ると述べています。「決着」させると言って,その実行力を標榜しています。解雇規制の緩和やライドシェア全面解禁などは明らかに新自由主義的な発想であり,裏で菅義偉や竹中平蔵が操っている図が思い浮かんできますし(笑),選択的夫婦別姓制度実現のために1年以内に党議拘束をかけずに採決するとまで述べています。この人は一体全体,何を考えているんでしょうか(笑)。実際のところは何も深く考えていないんじゃないでしょうか(爆笑)。
実は,内閣府は令和4年3月25日付けで「家族の法制に関する世論調査」の結果を発表しました。選択的夫婦別姓制度導入を求める回答は28.9%にとどまり,現行の夫婦同姓制度を維持した上で,旧姓の通称使用を制度化すべきだという回答は42.2%に上っているのです。
さらに,NHK放送文化研究所が中高校生を対象に令和4年に実施した調査(1183人が回答)では(要するに子供側からの視点です),結婚後に夫婦別姓を望む回答はわずか7.0%しかないのです(笑)。
当たり前ですよね。私だって未婚の自分の娘が自分の姓と違うというのは真っ平ごめんですし,娘だってそう言うでしょう。家族の一体感を損ねてしまうのは間違いありません。「選択的」というのは聞こえが良いのですが,実は,「選択的」夫婦別姓は「強制的」親子別姓を帰結するのです(笑)。
現在だって通称使用は広範な場面で認められていますし,このたび自民党総裁選に立候補している高市早苗議員は自分が総務大臣だった短期間のうちに,少なくとも総務省所管の範囲内で通称使用が可能なように措置しましたし,自分が首相になったら通称使用に法的根拠を与える「婚姻前の氏の通称使用に関する法律案」(国や地方公共団体,公私の団体,事業者に旧姓を通称使用できる措置を義務付けるもの)を内閣提出法案として提出する方針を示しています。高市候補は立派な仕事をしてきましたし,本来はこうあるべきだと思います。
小泉進次郎氏はサーフィンなんかやっている時間があったらもっと政策を勉強し(彼は約15年間も議員をやっていますが,議員提出法案は1本もありません。),1年以内に選択的夫婦別姓制度を実現させるなどと馬鹿なことを言わないの(笑)。
本来であれば公正な報道内容が求められる地上波をはじめとするマスコミですが,やたら小泉進次郎を持ち上げていますし,せいぜいその対抗馬と目される石破茂を持ち上げています。こんなんだからマスゴミと言われているのですよ(笑)。
前にも申し上げましたが,自民党総裁選といえば,政権交代でもない限り事実上は次の内閣総理大臣(首相)を決める極めて重要な選挙です。年内に実施されるであろう衆議院議員総選挙では,どの自民党議員も当選したい一心で二重ポスターの顔として誰を選べば票が得られるかということばかり考えています。日本国や国民のために誰を選ぶべきかという観点はほとんどありません(笑)。自民党議員の約5割は当選4回生以下の選挙基盤が脆弱な若手議員なので,「刷新感」があり「イケメン」で選挙民受けする小泉進次郎に議員票を投じる傾向にあるのでしょう。
政策で選んで欲しいと心から思います。やはり本来であれば,そのような重要な選挙であるからこそ,立候補者は明確な国家観,歴史認識ひいてはこの国をどのような国にしていきたいのか,何を保守していくべきなのかをはっきりと語らなければならないはずです。それができているのは高市早苗候補以外にいないのではないかと思っております。
よくビジネスの世界では「As Is」「To Be」というフレームワークが使用されます。「As Is」とは「現在のありのままの状態」,そして「To Be」とは「理想の状態(こうありたいという状態)」を意味します。そして両者の間に存在する差(ギャップ)を埋めるにはどうしたらよいのかを考える,つまりそのギャップこそ取り組むべき課題だと把握して,それを埋めるための方策を実行していく必要がある訳です。これは日本という国の運営にも絶対に当てはまります。
自民党総裁候補ならば,現在置かれている日本の状況(極めて厳しい外交・安全保障環境,国防,経済対策,少子化問題,安定的な皇統維持のための方策,エネルギー政策,教育再生など)を前提に,まずは「As Is」を正確に把握し(危機感を持ち),「To Be」(こうありたいという姿)を定め,その間のギャップを埋めるための具体的な戦略と戦術を提示していくのが政治家の役割でしょう。
小泉進次郎はやはりダメですね(笑)。格好だけつけていて,中身がなく軽すぎる。私がここまで行ってしまうのは,自分がイケメンでないことからくる僻みややっかみからではなく(笑),国を憂えているからです。「決着」とか何とか言っちゃって,選択的夫婦別姓やライドシェアや解雇規制の緩和を1年以内に実現するなどと会見で述べています。ライドシェアや解雇規制の緩和などといったことは,父親である小泉純一郎が竹中平蔵と組んで非正規雇用を劇的に増やし,所得格差を拡大させた一連の新自由主義的な路線を踏襲しているのでしょうね。父親は「聖域なき構造改革」と述べ,息子は「聖域なき規制改革」などと二番煎じなことを述べています。新自由主義的なことを述べているのは,バックに菅義偉などがいるからでしょうし,所詮は傀儡なのです。
このままでは小泉進次郎と石破茂が決選投票に進出し,最終的には小泉進次郎が総裁に当選する,事実上次の内閣総理大臣に就任するであろうと予想されています。本当にいいんですか・・・本当に(笑)。いや,笑い事ではありません。
本当にいいんですか・・・本当に(その1)
「後悔先に立たず」・・・この諺の意味は,「何かしてしまった後で悔やんでも,もうすでに取り返しがつかないこと,したがって,後で悔やまないように,事前に熟考すべきであること」です。
自由民主党総裁選には雨後のタケノコのように次から次に立候補者が出てきますが,マスゴミと言われている報道機関の報道内容ではどうやら1回目の選挙では過半数に届く者がおらず,小泉進次郎と石破茂が決選投票に臨むだろうということが有力視され,特に小泉進次郎が菅義偉らの後ろ盾であろうことか日本国の宰相になるだろうと予想されています。
本当にいいんですか,本当にそれで(笑)。事は事実上日本国の首相を決めてしまう選挙ですよ。誠に失礼ながら,小泉進次郎にそれだけの資質,能力,愛国心があるとは到底思えないのです。彼はどうやらマーケティングのプロと契約しているようで,どのように振る舞い,どのように発言すれば見栄えが良く,大衆に受けるだろうということしか考えていない,国会議員になって相当時間が経っているのに,反原発・太陽光パネルなど再エネ推進原理主義者であることは推測できるものの,現在日本国が抱えている諸問題に対する政策研究,勉強をしているとは思えないのです。
先の出馬会見においても,小泉進次郎はほぼ原稿を棒読みで,自分の言葉,自分の頭で考えた上で発言していません。質疑応答だって,どうやら事前に会見場に出席する記者らから質問を受け付けて,配席まで決め(指名し易いようにどの記者がどこに座っているか分かる),事前に受け付けた質問に対する回答を用意して付箋を付け,さらにはそのような事前準備資料を用意していたことなどが外部から分からないように机を高い柵で覆っている(笑)。マーケティングのプロと契約しているだけあって,どのように振る舞い,どのように発言すれば見栄えが良く,大衆に受けるだろうということしか考えていない。最後にフリーの記者からの失礼な質問に対する「見事な」受け答えも,およそ想定問答の範囲内だったでしょう。
私が深く嘆いているのは,自民党国会議員の情けなさです。政治家としての志のなさです。要するに,間近に迫っているであろう総選挙に向けて,誰を総裁に選べば自民党の「顔」として「刷新感」と「感じの良さ」があり,次の選挙で自分が当選できるかということしか考えていないという絶望感です。政治家として身を立てているのであれば,何よりも国家や国民のためにどうするのが一番良いのかを考えて行動しろということです。
「トランスジェンダーになりたい少女たち-SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇」(アビゲイル・シュライアー著,岩波明=監訳,村山美雪・高橋知子・寺尾まち子=共訳,産経新聞出版)という本を買い求めようと,私は市内の大手書店をくまなく探し回ったのですが,店内に置かれておらずこの本がなかなか手に入りませんでした。そこで仕方なく通販で購入することにしたのです。
この本を読了して思い至ったことがあります。それは,過激なトランスジェンダー活動家や左翼団体が不当にもこの著者の翻訳本の出版や販売に圧力をかけまくった理由というのは,この本には彼らにとって極めて「不都合な真実」が記載されているからだということです。彼らにとっては不都合であっても,この本に展開されている状況はやはり「真実」なのです。
この本の「はじめに」の箇所には,著者自身の言葉として「このところ大流行している診断名は、悪霊の憑依ではなく、〝性別違和(ジェンダー・ディスフォリア)〟だ。対処法は悪魔祓いでも、浄化するための下剤でもない。男性ホルモンのテストステロンの投与と、乳房を切除する〝トップ手術〟だ。」とありますように,この本はまだ精神的,知的に成熟していない少女らが流行やSNS上の仲間からの情報に乗っかって,安易に「性別違和」を訴え,医師やカウンセラーや学校や親がそれをただただ「肯定し」,無思慮にもテストステロン補充療法等に移行させ,挙句,乳房切除手術に至る由々しき風潮に社会的な警鐘を鳴らしている本です。
先日の産経新聞にも福井義高さんは次のように指摘しておりました。「近年、性的少数者の権利拡大を求める運動が急速に広がり、日本でも昨年、LGBT理解増進法が制定されたところである。しかし、運動の影響は単に大人の世界にとどまらず、欧米では、性的少数者を賛美する社会的風潮の下、少年少女が思春期になって『自分もトランスジェンダーかもしれない』と言い出す例が増えているばかりか、その子供たちに後戻りできない性転換を進める『治療』を促す動きが存在する。」
この本では,欧米社会におけるこのようないわば悍ましい実態とその弊害,ひいてはテストステロン補充療法や乳房切除手術を受けた思春期の少女が結局はその後に後悔し,取り返しのつかない肉体的,精神的ダメージを受けている事実を冷厳な目で指摘しております。この本を読んで今も強く印象に残っているのは,推進派であるアメリカで最も有名なジェンダー専門小児科医ジョアンナ・オルソン=ケネディ博士の次のような極めて無責任な発言です。「わたしたちにわかっていることは、思春期の子どもたちには理にかなった論理的な決定をくだす能力があるということです。・・・それに、胸の手術の件もありますね。またあとで乳房が欲しくなったら、手に入れればいいの。」(同書247~248頁)。驚くべき無責任な発言です。
この「性別違和」に関するこのような風潮は,過激なトランスジェンダー思想に基づく活動家や左翼団体の強力な推進活動も勿論ですが,テストステロン補充療法やクロスホルモン療法,乳房切除術などの医療ビジネスと結びついているような気がしてなりません。儲かりますからね。
いずれにしてもこの本は必読だと思いますよ。このブログではやたらに引用してしまいますが,この本に対する賛辞のいくつかをご紹介しましょう。
「じゅうぶんな証拠にのっとり示唆に富んでいる・・・いま起こりつつある危機を説得力をもって垣間見せている」(サラ・ディータム【デイリー・メール紙】)
「アビゲイル・シュライアーの新作はこの十年で思春期の少女たちに広まった急速発症性性別違和の流行に関する傑出した調査レポートだ。親、教師、教会、コミュニティのリーダー、そして若い女性たちの幸福を願うすべての人々にとって貴重な情報源である」(ジーン・C・ロイド【パブリック・ディスコース】)
「トランスジェンダー運動が驚くほど短期間でもたらした悪影響を見つめる、慎重かつ容赦ない視点。シュライアーは西欧を席巻したトランスジェンダー大流行を考えなおす機会をわたしたちに与えている」(ジョナソン・ヴァン・マレン【アメリカン・コンサヴァティヴ誌】)
少し前のことになりますが,早朝からドジャース対パドレス戦のテレビ中継を観ていましたら,「あれっ?」と思いました。両軍の選手とも,やたらにピンク色の道具などを使用したり,身にまとっていたのです。バットやグラブ,アンダーシャツやソックス,手袋などがピンク色なのです。おかしいな,変だな,いつもと違うなと思っていましたら,どうやらこれは「母の日」仕様なのだとか。
そういえば,うちのカミさんも東京に住む娘から母の日のプレゼントを贈ってもらって喜んでおりました。美味しそうで珍しそうな瓶入りのジャムが3個。早速パンにつけて美味しそうに食べておりました。
話は突如として変わりますが,例によって立憲民主党が訳の分からない「婚姻平等法案」なるものを衆議院に提出おりますね。同性婚を法制化し婚姻の平等を実現するための法案なんだそうです(正式名称は,民法の一部を改正する法律案)。何でもかんでも欧米に倣えばいいというものでもないでしょう。私は婚姻制度そのものの本質からいっても,憲法に定められた「両性」というのはやはり男性と女性だと思いますよ。
この法案の内容をよく読むと,民法の条文上はもはや「父、母」という文言は使用できず「親」に改めることになっておりますし,「夫婦」という文言も使用できず「婚姻の当事者」に改めることになります。もしこんな法案が国会で成立してしまったら,例え民法上の文言修正に過ぎないとはいっても,将来的には日常生活においても「母の日」や「父の日」がなくなり,単に「親の日」になってしまうのでしょうか(笑)。大小の対になった「夫婦茶碗」も「婚姻の当事者茶碗」になってしまうのでしょうか(爆笑)。いやー,本当に住みにくい世の中になってしまいます。
我が家では娘には「パパ,ママ」ではなく「お父さん,お母さん」と呼んでもらうようにしていましたし,今でもそのように自然に呼んでもらっています。私自身も両親のことを「お父さん,お母さん」と呼んでいました。日本という国はそれで良いのです。民法改正など必要ありません。
同性婚の法制化に躍起になっている立憲民主党ですが,彼らが右に倣おうとしている欧米,例えばアメリカの教育省の公式文書においては「父親,母親」という表記が「親1,親2」に置き換えられております。いやー,・・・本当に嫌だな。うちの娘から,私は「親1さん」,カミさんは「親2さん」などと呼ばれてしまったら,やり切れません,死にたくなります(爆笑)。
共産主義の考え方の根底の一つに,「家族解体」というものがあります。
「旧体制を憎み社会主義革命を企てる人々は決まって家族を壊そうとする。国の歴史、文化、伝統などを受け継ぎ、次代に伝えるのは家族だからだ。」(桑原聡,「モンテーニュとの対話」)また,初期のソビエトにおいても家族消滅諭がさかんに唱導され,自由恋愛論などを展開した女性活動家アレクサンドラ・コロンタイの主張もその延長線上にあり,ソ連での集団農場や中国の人民公社なども生産性の向上だけでなく実際には家族解体を企図したものでした。
最近はやりの「ジェンダーフリー」とは「ジェンダーからの解放」を意味する言葉で,学術的には「社会的性差からの解放」を意味します。これは社会における男女のあり方,そして家庭の在り方を根本から変えてしまおうという思想で,「男女に違いはない」,「父親と母親に違いはない」という考え,つまり社会的に形成された性差は徹底的になくすべきだという恐ろしい思想だと思いますよ。
でもね・・・。冷静に考えてみましょうよ。やはり男の子は男の子らしく,女の子は女の子らしく自ら育ちますし,子どもにとって父親には父親の役割が,また母親には母親の役割があります。「親1,親2」などと呼ばれるのはまっぴらごめんだわ。
河野太郎という政治家が,内閣府「再生可能エネルギー等に関する規制等の総点検タスクフォース」(以下「TF」といいます。)の活動に力を入れ,自然エネルギー財団事業局長の大林ミカなる人物を重用し,挙句の果ては彼が防衛大臣の時に自衛隊の施設は100%再エネを目指すという目標が設定されてしまったように,「再エネ最優先」に血道を上げる理由は何なのでしょうか。
それは確かに「再エネ最優先」が河野太郎という政治家のライフワークの1つなのかもしれません。でも,果たしてそれだけが動機なのか。日本端子株式会社は,神奈川県平塚市に本社が所在し,中国の3か所に子会社を置き,端子やコネクタを主力製品とした設計,製造,販売を営業目的としています。その代表者(代表取締役)は彼の弟である河野二郎,その大株主は彼の父親である河野洋平(例の悪名高い「河野談話」の主),そして河野太郎もかつてはこの会社に在籍し,現在もその株式を一部保有し,同社はかつては日本の太陽光パネルメーカー向けの端子・コネクタの製造をしていたことがあります。また同社の中国における子会社の営業範囲内に太陽光発電装置等の販売が含まれているとの情報もあります。
また,大林ミカなる人物は,このたび中国の国営企業である国家電網公司(世界最大)の透かしロゴを付けた資料をTFに提出した訳ですが,彼女が事業局長を務める自然エネルギー財団は,実はその設立者・会長はあのソフトバンクグループ代表の孫正義です。孫会長は,自然エネルギー財団の設立イベントで,「アジアスーパーグリッド構想」(「ASG構想」)を発表しています。
この「ASG構想」というのは,要するにアジア全域(もちろん中国を含みますし,むしろ中国が中心となるでしょう。)を送電線で結び,国家間で太陽光や風力,水力など再生可能エネルギーの相互活用を進めるというもので,この自然エネルギー財団は,資料にロゴが入った中国の国家電網公司と連携しながらASG構想を進めた時期もあったのです。
我が国が中国と送電線で結びつき合うなんてとんでもないことでございます(笑)。かの国は機嫌が悪くなったらいつでも送電ストップ措置をとるでしょう(笑)。いわゆるレアアース問題の時もそうでしたし,最近では処理水を「汚染水」などといちゃもんを付けて平気で日本産の水産物等の輸入禁止措置をするくらいですから。こういうのを傍若無人というのでしょうね。
それにしても,この4月から「再エネ賦課金」のせいで電気料金の支払額が増えますね。あの悪夢のような民主党政権時代,菅直人が首相をやっていた当時,孫正義が「(再エネ電力)固定価格買い取り制度」新設に向けて菅直人をおだてまくってニヤニヤし,これに負けず劣らず菅直人もニヤニヤしていた醜悪なシーンが思い出されました(笑)。
この醜悪なシーンを思い出し,そしてこのたびの「透かしロゴ問題」を考えた場合,レントシーキングという言葉を想起してしまいました。レントシーキングとは,「特殊利益追求論」とも呼ばれ,企業がレント(参入が規制されることによって生じる独占利益や,寡占による超過利益)を獲得・維持するために行うロビー活動等を指すそうです。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者ジョセフ・スティグリッツは,米国において金融関係者や大企業CEOら富裕層の富は,民間企業が政府と結びつき公共サービスの仕組みを変え,市場のルールを変え,市場の公平な競争を上手く機能させないように講じられた結果によるもので,これを「レントシーキングによる富の収奪」と呼び,批判しています。
そういえば,我が国も「構造改革」などと称していろんな会議体(例えば,「規制改革なんとかなんとか審議会」など)を設置し,企業家など民間の委員が恣意的に選任され,それぞれのビジネスの展開,拡大に資するような活動,提言,働きかけを行っていますよね。例えば,竹中平蔵などは人材派遣大手のパソナの会長をやっておりましたが,次から次に人材派遣業界にとってビジネスチャンスとなるような規制緩和を政府に提言等していたでしょう。これもレントシーキングの一態様だと思っています。
今回の「透かしロゴ問題」の背景にある問題状況も,実はレントシーキングの影がちらついているように思えてならないのです。
先日,あるサイトで紹介されていたのですが,山口県岩国市にある広大なメガソーラー施設をドローンを使って撮影した映像を目にしました。緑豊かな山肌が無残にも削り取られ,約118ヘクタールの広さ(東京ドーム25個分)に太陽光パネル約30万枚が設置されている姿は醜悪としか言いようがありません。環境面での悪化は否定しがたく,実際に周辺の清流にも影響が出ています。
それにこれも自然豊かな阿蘇外輪山の広い草原(福岡ドーム17個分)に約20万枚の太陽光パネルが設置された画像を見ていて,やはり気分が悪くなりました。この辺りは,熊本県と7市町村が世界文化遺産の登録を目指しているエリアの周辺に位置しており,自然豊かな緑の草原をあざ笑うかのように設置された濃い灰色の太陽光パネルの異様な姿からは思わず目を背けたくなります。
現在世間で多用されている中国製太陽光パネルの約半分は新疆ウイグル自治区で生産されており(ウイグル人強制労働の疑いが濃厚),中国共産党のウイグル人弾圧を「ジェノサイド」と認定しているアメリカでは輸入禁止措置までされているのに,日本政府は全く我関せずです。それに,冒頭の岩国市のメガソーラー事業体については,結局は中国に本社を置く上海電力の100%子会社である上海電力日本が買収しております。また,産経新聞の記事によると,外国資本によるメガソーラーの買収は全国で広がっており,全体の約3割を外資が占有しているとの見方もあって,安全保障上の問題も指摘されています。
さて,それにしてもです,河野太郎氏(内閣府特命担当大臣【規制改革】)・・・。この大臣は自他ともに認めるであろう「再エネ最優先」という人物でしょう。河野氏の肝いりで設置された内閣府「再生可能エネルギー等に関する規制等の総点検タスクフォース」(以下「TF」といいます。)の会合で,委員である自然エネルギー財団事業局長大林ミカなる人物(問題が指摘された3月27日に辞任)が提出した資料に,中国の国営企業である国家電網公司の透かしロゴが入っていたことが問題になっております。
実は,これは単なる事務処理上のミス(消し忘れ)などといった軽微な問題ではなく,日本のエネルギー政策が事実上,そして国民からは見えない形で中国の影響を受け,重要な政策決定過程が歪められてしまうリスクがあるのではないかという由々しき問題でしょう。
大林氏がTFの委員に選任された経緯についても事実上河野氏との人脈があったからだと指摘されていますし(河野氏が外務大臣だった当時に設置された「気候変動に関する有識者会合」においても大林氏(自然エネルギー財団)が「有識者」としてメンバーに選ばれています),また,「(大林氏は)非常に専門性が高いと思っている」(河野氏の答弁)といっても実際には大林氏の経歴すら明らかになってはおりません(エネルギーや工学関係ではなく,語学学校【専門学校】の卒業という説もあります)。
また,今日の産経新聞の「正論」には,この問題について杉山大志さん(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)の論稿が掲載されておりましたが,河野氏は「再エネ最優先」を掲げ,2030年の発電に占める再エネの数値目標を36%から38%「以上」にするよう経済産業省の官僚を怒鳴り上げた音声がリークされたことに言及されております。私もあるサイトでその音源を実際に聞いたことがありますが,これは正にパワーハラスメントです。厚生労働省のパワハラの定義(要件)を十分に具備しているでしょう(笑)。
私が何よりも度し難いと思っているのは,「再エネ最優先」の河野氏が防衛大臣の時,何と,何と,日本国の安全保障の要である自衛隊の施設は100%再エネを目指すこととされ,現在では多くの防衛施設が再エネ電力を購入するシステムにされてしまったことです。防衛施設の稼働,そしてそのためのエネルギー供給が,不安定な天候や風力に左右されてよいはずはありません。それに再エネ電気事業者の中には中国系の企業がどのくらいもぐりこんでいるかも正確に把握されていない中で,電力消費量を中国が監視することで自衛隊の活動状況を把握できたり,場合によっては中国共産党の指示によって一時的にでも電力供給をストップされてしまう可能性だって否定できないでしょう。河野氏は,防衛大臣時代,新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の設置・配備計画(山口,秋田)について,合理的,説得的な理由もなく突如として中止してしまったのです。(続く)
真夏以外はできるだけ徒歩通勤をしようと心掛けているのですが,今朝は本当に寒かったですね。ここ名古屋では予想最高気温が4度,最低気温は-1度です。よく手紙の冒頭の時候の挨拶で「厳寒のみぎり」なんていう文句を使いますが,今朝は正にそんな感じでした。午前中には雪が降り,傘を差していても徒歩通勤の私のコートには少し雪が積もりました。まあ,1月下旬といえば1年のうちで最も寒い時期と言われてもいますから,致し方ありませんね。
さて,愛読している産経新聞のコラム「産経抄」の切り抜きが机の近くに置いてあるのにふと気づきました。もう1か月以上も前のものですが,この日の「産経抄」の作者の意見に全く同意し,そこで取り上げられた出版妨害の暴挙に私も強く公憤を覚えたのを思い出しました。「焚書坑儒」は秦の始皇帝の時に限らず,少なくとも「焚書」は現代にも存在するのですね。
この日の「産経抄」の記載によれば,大手出版会社「KADOKAWA」は,昨年12月5日,本来であれば今年1月に予定していたアビゲイル・シュライアーの著書「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」の刊行中止を発表したのです。
このような事態に至った背景には,どういう勢力によるものなのかは知りませんが,出版前から多数の抗議が寄せられ,昨年12月6日(要するにこの前日に出版中止決定の発表を余儀なくされた)には同社の本社前での抗議集会の開催が告知(予告)されていたというのです。
でも,抗議活動などで特定の本の出版を中止させるようなことが許容されてもよいのですかね。憲法21条は出版その他一切の表現の自由を保障すると明記されているのですし,われわれ国民の知る権利もあります。しかも特定の個人の名誉やプライバシーを侵害する差し迫った危険のあった事案ではありません。明らかにおかしいと思います。
武蔵大学の千田有紀教授(家族社会学)はインターネットの産経ニュースで「出版社に抗議して委縮させるのは極めて卑怯な行為だ。」と指摘しています。また,ジャーナリストの佐々木俊尚さんもX(旧ツイッター)で「焚書が現代日本で。この判断に強く抗議します。」と訴えています。そういえば,昔,言論出版妨害事件というのがありましたよね。これは1960年代末から1970年代にかけて日本で発生した,宗教法人・創価学会と同団体を支持母体とする政党・公明党が自らに批判的な書籍の出版,流通を阻止するために著者,出版社,取次店,書店等に圧力をかけて妨害した事件です(この事件の顛末はウィキペディアなどに詳しく書かれています。)。
それにしても今回出版中止に追い込まれた本は,10か国語に翻訳され,イギリスのタイムズ紙やエコノミスト誌で「年間ベストブック」に選ばれたベストセラーです。是非読んでみたいものですが,何分私は日本語以外は苦手なのです。
今回日本での出版中止に追い込まれてしまったこの本(アビゲイル・シュライアー著「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」)と同じ問題意識に立つと思われる本に,「大衆の狂気-ジェンダー 人種 アイデンティティ」(ダグラス・マレー著,山田美明訳,徳間書店)があります。以前このブログでもご紹介しました。行き過ぎた多様性主張,過剰なリベラリズムに警鐘を鳴らすという意味で,これは素晴らしい名著です。この本に対する賛辞は数多くあるのですが,そのうちの一つをご紹介しましょう。
「マレーは、疑念の種をまき散らす社会的公正運動の矛盾に切り込み、大衆の九五パーセントがそう思いながらも怖くて口に出せないでいたことを雄弁に語っている。必読書だ」(ナショナル・ポスト紙(カナダ)