もう蝉の声もほとんどしませんし,空には明らかに秋の雲が浮かんでおります。ようやく夏も終わりに近づきました。土砂災害や河川の氾濫などで被災された方々には心からお見舞い申し上げます。昭和21年から観測が始まって以降,今年8月の雨量は史上最高で,平年の約2.7倍の量だったそうですし,日照時間も平年の約48%に過ぎなかったとのことです。その途方もない雨量と降り方,局地的でゲリラのような豪雨,竜巻や雹など,今年の夏はちょっと変でした。我が家における西瓜の消費量も結局は1個に過ぎませんでした。例年でしたら頼まれもせずに私がせっせと西瓜を買ってきて,これに対しうちのカミさんが冷蔵庫の野菜室を西瓜に占拠されてしまった状況に不平を言うのが通例でしたのに・・・。
安倍首相は内閣改造に踏み切りましたね。石原環境相以外はみんなそれぞれ安定的,継続的に良い仕事をしていたと思うし,何で改造が必要なのかとの疑問もありますが,いわゆる大臣病を背景とした派閥の圧力に抗しきれなかったのでしょうかね。
産経新聞の松本浩史という人も書いておりましたが,自由民主党にはやはり旧弊が残存しておりますし,みんな大臣になりたいようです。当選回数を重ねるだけで,いつかは入閣できるというシステムは田中角栄政権以降に確立されたようです。当選回数2回で政務次官,3回で党政務調査会の部会長,4回で常任委員会の委員長,5回か6回で初入閣という流れです(笑)。しかしこれでは議員個人の属性(資質,能力)にかかわりなく登用されてしまうことになり,天下国家のために果たしてそれで良いのかという疑問が大いにあります。それにそういう事実上の登用システムがあるとすると,怠け者の議員は勉強と努力をしなくなってしまうでしょう。
まあ,今回の内閣改造や党役員人事は明日くらいに明らかになるでしょうが,稲田朋美衆議院議員や高市早苗衆議院議員には期待しております。それと山谷えり子参議院議員にも。自民党の中には自虐史観で凝り固まったり,中韓にやたら阿るバカな議員も潜り込んでおりますが,そういった連中と明らかに一線を画すのが彼女らでしょう。ますますキャリアを積んで大成して欲しいと思います。それにしても,安倍首相も何かにつけて徹底はできないでいますね。さきほど述べました自虐史観で凝り固まったり,中韓にやたら阿るバカな議員も,実は今回の改造で要職に就きそうです。
現在のところは,日本国の首相として安倍晋三という人は余人を以て代え難い存在ではありますが,経済政策にしても,人材の登用にしても,中途半端なことをやっていると真正の保守層から愛想を尽かされてしまうリスクもありましょう。
今,私の自宅にある様々なジャンルの本は,機会があればもう一度読みたいと思える本のみです。既に読み終え,あるいは読んでいる途中で,「もうこの本を読むことはないだろう。」と思った本は,本棚ではなく,古紙回収のために積み上がった新聞の上に置いてしまうのです。
そうしていると,うちのカミさんは何も言わずにそれらの本(私が「もうこの本を読むことはないだろう。」と思い,捨てようとした本)を,納戸にしまい込み,しかるべき時にまとめて本屋さんに売りに行き,得たお金でその日の夕食の食材をスーパーに買いに行くのです(笑)。当然本の保存状態が良いので(私は本は割とキレイに読みます),結構な値段で売れることがあるのです。
ついつい新しい本を読みたがる傾向があるのですが,私は「平成経済20年史」(紺谷典子著,幻冬舎新書)という本は自宅の本棚にある本の中でも特に「もう一度読んでみたい」と思っていました。この週末に改めて読み返してみますと,名著だと思います。その裏表紙には次のように書かれています。
「バブルの破裂から始まった平成は世界金融の破綻で20年目の幕を下ろす。が、日本の崩壊は、世界の所為(せい)ではない。バブル後、経済は何度か回復の兆しを見せたが、立ち上がろうとするたび叩きのめされ、なお長期にわたって低迷している。では一体、誰が日本を傷つけたのか?それは財務省、日銀、アメリカ金融で、決定付けたのが小泉改革だった-。この20年間を振り返って、わが国が墜落に至った最悪の歴史と、そのたった1つの原因を丁寧に解き明かし、日本復活へ一縷の望みをつなぐ稀有な書。」
私はこの本を読み直した後,再び3度目の読み直しをしたいと思ったくらいで,それほどその内容は腑に落ちたのです。バブル経済を生じさせた原因,そのバブル経済を確信犯的にハードランディングさせた日銀の罪,国民をミスリードすべく意図的に作出された情報を絶えず流し続け,政治家やマスコミの裏で糸を引いて増税,公共事業削減,社会保障費削減などを次々に実行した財務省,あたかもアメリカや外資のポチとして「改革」の名の下に売国的な政策を実行した小泉改革・竹中プランなどなどが極めて説得的に記されております。あの「小泉改革」や「構造改革」など,その「改革」の中身とその結果は一体何だったのか,その背景にはどのような事情があったのか,目から鱗が落ちる思いもします。
相変わらず竹中平蔵なる人物はマスコミからチヤホヤされ,「民間議員」として政商のように行動していますが,あの頃,つまり小泉政権時代,この者は経済財政担当大臣(その後金融担当大臣も兼務)として「竹中プラン」を強引に推進し,「税効果会計」のルールを一方的に変更して日本の4大メガバンクを追い詰め,結果的には外資が有利な条件で株式の一部を取得,転売して大もうけをしましたし,りそな銀行の2兆円の公的資金注入に関してはインサイダー取引の疑惑もあります。あたかも小泉,竹中といった面々は,日本という国を「ぶっ壊す」ために中枢に食い込んだコミンテルンであるかのようです(笑)。
「この20年、日本経済は傷み続けた、と思う。少なくとも『日本経済の回復』ではなかった。一時的な回復局面はなんどかあった。だが、立ち上がろうとしては叩きのめされ、また立ち上がろうとしては叩きのめされ、一体いくたび、それを繰り返したことだろう。叩いたのは日銀であり、財務省であり、米国金融であった。彼らは自身の利益のために、日本経済を犠牲にしたのである。」
「この20年は、改革幻想にとらわれた20年でもあった。改革を裏で主導してきたのは、財務省である。『改革』と言われてきたものの多くが、財政支出の削減でしかなかったことを見ても、それは明らかだ。小泉改革の『官から民へ』は行政責任の放棄であり、『中央からから地方へ』移行されたのは財政負担だけだった。『郵政民営化』は、保険市場への参入をめざす米国政府の要望である。小泉首相の持論と一致したのは、米国にとっては幸運でも、国民にとっては不運だった。」(本書402~403頁)
平成が始まってから,現在のアベノミクスが始動する前までの日本経済の病理を通覧するには好適な書物だと思います。ただ,著者の紺谷典子さんのことですが,最近マスコミは彼女を干していませんか?少し気になります。
日曜日の東京ドームでの対中日戦,2-3でせっかく追い上げムードだったのに,中継ぎの久保投手,なんぼなんでも3連続押し出し四球はダメですわ(笑)。突如として試合そのものがぶっ壊れました。テレビを見ていて愕然としました。全然ストライクが入らないんですもの。その時,ふと,「このピッチャーはひょっとしてコミンテルンではないか?」と思ってしまいました(笑)。
日本という国や日本人というものが嫌いになってしまいますよ,本当に。誤解のないように言いますが,私は日本という国や日本人が大好きです。でも,本日のブログのタイトルのように,朝日新聞みたいな反日新聞を読んでいると,日本や日本人が嫌いになってしまうのではないでしょうか。つくづくそう感じます。朝日新聞という新聞社は一体どこの国の新聞なのかという素朴な疑問も・・・。
いわゆる「従軍慰安婦」問題では,この朝日新聞が,職業的詐話師と呼ばれる吉田清治という者の「証言」を真に受け,鬼の首をとったようにこの問題を報道し続け(その後は植村隆という記者の完全誤報記事も掲載),こういった報道こそが国の内外で日本という国や日本人を貶める結果を招来したことはもはや公知の事実です。先日,吉田清治の「証言」が事実に基づかないことなどにつき訂正記事を出しましたが,謝罪などは一切行わず,かえって問題をすり替えています。30年以上も前にこの「証言」が事実無根であることが世に明らかになっていたにもかかわらず,この新聞社はその間何をしていたのでしょうね(笑)。調査等によりそれに気づくまで30数年かかったというのでしょうか(笑)。卑怯で卑劣極まりないと言わなければなりません。しかも,この新聞社は,日本では訂正記事を掲載しておきがら,諸外国に向けては英語等による訂正記事をサイト等で発信してはおりません。いわゆる国連のクマラスワミ報告書などは吉田清治の「証言」が重要な根拠にされており,なぜ朝日新聞が世界に向けても訂正記事を発信しないのか,理解に苦しみます。評論家の櫻井よしこさんは,今後朝日新聞は1つ2つのことをやった後は廃刊すべきだと仰っておられます(笑)。
福島第一原発の事故に関する調査報告書のうち,いわゆる「吉田調書」(故吉田昌郎元所長)について,この朝日新聞はこれまた日本や日本人を貶める記事を平気で書いています。この新聞は,吉田調書を根拠に,「所長命令に違反 原発撤退」という大見出しで,「吉田氏の待機命令に違反し、所員の9割が福島第2原発へ撤退していた」と報道しました。しかしながら,吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはおりますが,所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示しておりませんし,実際に所員の9割がことさら所長命令に「反して」2F(福島第二原発)へ我先に撤退したという事実はないのです。朝日新聞の記事を読めば,あたかも所員が卑劣な行動をとったかのように誤解してしまいます。実際には,そのように読めてしまう捏造的な記事を掲載した朝日新聞こそが卑劣というべきでしょう。事実,世界中のメディアがこの朝日新聞の記事に基づいて,「日本人も現場から逃げていた」などと報じています。
私は,「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」(門田隆将著,PHP研究所)という本を読みましたが,吉田所長以下,所員は死を覚悟で必死に現場対応していたのです。その著者である門田隆将さんが,先日の産経新聞で次のようにコメントしていました。
「事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、先に撤回された慰安婦報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。」
同感です。
2日前にも書きましたが,安倍晋三首相は外交,安全保障,経済政策(いわゆるアベノミクスの第1の矢【大胆な金融政策】と第2の矢【機動的な財政政策】)など,大変良い仕事をしておられると思います。ただ,最近特に気になっているのは,やたらと「女性比率」の数値目標にこだわった政策を闇雲に推進している嫌いがあるという点です。
安倍政権は「成長戦略」の中核として「女性活用」を声高に宣言し,平成32年までには社会の指導的地位に占める女性の割合を3割以上にするとしています。女性の社会進出に格別異論はありませんし,その能力次第ではどんどん登用されるべきでしょう。しかし,とにかく「3割以上」という枠を設けてしまうこと自体には違和感があります。先日の産経新聞の記事の中で評論家の櫻井よしこ氏が主張していたように「ジェンダーフリーの旗だけを振るのではなく、伝統的な女性の役割を日本人の生き方のひとつの形として大切に守っていけるようなバランスのとれた計画にすべき」だと思います。
というのも,夫の収入だけで暮らす専業主婦世帯は総務省の調査で745万世帯であり,また厚生労働省の調査でも独身女性の3人に1人が専業主婦を希望しています。さらに内閣府の調査では「夫が働き、妻は家を守る」のがよいとする人が51.6%で,特に20代ではこの割合が約20ポイントも伸びたのです。しかも総務省の労働調査では,働きたいと考えている女性は約300万人ですが,フルタイム志望は2割以下なのです。
櫻井よしこ氏が述べるように「こうしたことは女性たちが、働くことの意味を経済性だけに求めているのではないことを示しているのではないか。子供の教育を含めた文化的価値や、高齢化時代の両親の介護など社会的価値において自分の力を生かすことを望んでいるのではないか。」と思えるのです。
要するに,先に述べた政策(「平成32年までに社会の指導的地位に占める女性の割合を3割以上にする」)は,それ自体が自己目的化しているのではないかとの疑問が払拭できません。先日の産経新聞のコラム「産経抄」にも書いてあったのですが,確かに能力と意欲のある女性のために活躍の場を広げる方針に異論はないものの,女性の社会進出そのものが目的となってしまえば,本末転倒になります。ドイツのメルケル首相は「政治の世界には『女性優先枠』は必要ない」と発言して実力主義を貫き,元祖「鉄の女」のサッチャー元英国首相も女権拡大運動には冷ややかでした。北欧社会が女性割当枠を設けておりますが,必ずしも成功しているとばかりは評価できません。
くれぐれも自己目的化しているような安易な政策を策定,推進するのではなく,総合的で,「伝統的な女性の役割を日本人の生き方のひとつの形として大切に守っていけるようなバランスのとれた」政策が求められていると思うのです。
夏なんですから,「暑い,暑い」と言っていてもどうしようもありません。暑くはありましたが,昨日の夕方は事務所から自宅まで徒歩で帰りました。もうすぐ自宅に着くという辺りで若いお母さんと3歳くらいの女の子が歩いているのを見かけました。「○○ちゃん,もう暗くなったね。」,「うん。」という何気ない母子の会話が耳に入ってきました。何かほのぼのとしたものを感じました。
各家庭にも様々な事情がありましょうが,私は昔から母親はせめて子が3歳くらいになるまではずっとそばにいて育んでいくのが良いと思っていました。今でもそう思っておりますし,我が家では3歳と言わず小学校低学年くらいまではそうしていました。もちろん育児には父親も参加です。一緒にお風呂に入ったり,寝る前は2冊ほど絵本を読んで添い寝をしたり・・・。そして何よりもよく子に話しかけたり,また家庭内で夫婦の会話が豊富なら子もその会話を聞いて成長します。もちろん躾けも必要です。
ところで,安倍晋三首相は,第一次安倍内閣の時もさることながら第二次安倍内閣でも外交,安全保障,経済政策(いわゆるアベノミクスの第1の矢【大胆な金融政策】と第2の矢【機動的な財政政策】)など,大変良い仕事をしておられると思います。やはりこれまでの仕事ぶりや成果をみますと,余人をもっては代えがたいというべきでしょう(あの鳩山由紀夫や菅直人と比較するのも大変失礼です【笑】)。でも,アベノミクスの中の第3の矢【民間投資を喚起する成長戦略】については,以前から違和感を覚え,首を傾げざるを得ない部分を少なからず含んでいると思っていました。特に最近では「一体何をそんなに焦っているのだろう」と感じるのが「女性が輝く日本」というスローガンの中身です。
端的に申しますと,「女性が輝く日本」というスローガンの下,現政権が性急に推し進めようとしている政策は,何か不必要に専業主婦を目の敵にし,伝統的な日本の家庭文化とでも言うべきものを壊し(「育児より働け」),無理に数値目標を欧米の水準に合わせようとしているかのようです。具体的には配偶者控除の廃止,「第三号被保険者制度」(夫が正社員等の場合,妻の収入が130万円未満であれば保険料を負担しなくても健康保険や国民年金に加入できる制度)の廃止,会社等の配偶者手当の廃止などが真顔で検討されているのです。
女性の輝き方は様々でしょう。総合職,バリバリのキャリアウーマンを目指して自己実現を図ることを第一とする人もいれば,サザエさんに出て来る磯野フネさんのように割烹着を着て家事,育児を十全にこなし,夫や子らがその役割を全うできるような良きハウスキーパーたる立場にある人もおり,これまたとても尊敬されるべきでしょう。それが日本の伝統的な家庭文化とでも言うべきものです。
当の女性たちも「子供が三歳くらいまでは母親は仕事を持たず育児に専念」という意見に20~30代の子育て世代の80%が賛成しています(国立社会保障・人口問題研究所『全国家庭動向調査』2008年)。八木秀次氏の「この八割の女性の意向を抑えてでも社会で『活躍』させたいとでもいうのだろうか。ここは少なくとも育児に従事する期間は、働かなくとも育児に専念できるよう優遇する制度を設計するのが新たな人口を生み出す女性たちのニーズにも叶う現実的な政策ではないのか。」(月刊誌「正論」平成26年8月号)との意見に賛同したいのです。日本を守る本当の意味の少子化対策というのは,外国人移民(家事に従事するメイドを含む。)を闇雲に導入することではなく,また竹中平蔵などの政商の悪魔のささやきにたぶらかされることではなく,方向としては間違っていないアベノミクスの第1と第2の矢を勇気をもって推進し,何より賃金を上げ(これにより妻も一定期間は経済面においても安心して育児に専念できます),日本人女性の(移民のではありません)合計特殊出生率を上げていくことだと思うのです。
なお,これに関連することについては,後日気が向いたら(笑),このブログで書いてみたいと思います。
かなり前のことになりますが,このブログでも現在の法曹養成システムのうち弁護士養成のそれは既に破綻に近くなっていることを指摘したことがあります。法曹というのは裁判官,検察官,弁護士のことを指します。今の司法試験制度は,原則として法科大学院(ロースクール)を修了した人にしか受験資格が与えられておりません。しかし受験できるルートがそれだけですと,高額な法科大学院の授業料を支払うことのできる比較的裕福な人しか司法試験を目指すことができなくなります。そこで,予備試験という制度が新設され,この予備試験に合格すれば法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格が与えられます。
要するに現在の司法試験は,法科大学院修了者と予備試験合格者に受験資格が与えられ,山の頂上に至るには法科大学院(原則)と予備試験(例外)という2つのルートがあるという訳です。ところが,文部科学省の集計によりますと,来春の法科大学院の予定定員総数は3175人で,ピーク時の5825人から約45%減少という状況で,かつて74校あった法科大学院は募集停止が相次ぎ,来年度に学生募集するのは54校に過ぎません。しかも今春の入学状況はというと,募集した67校の定員計3809人に対し,入学したのは2272人であり,入学者が定員を下回ったのは91%に当たる61校で,そのうち44校は定員の半数にも満たなかったのです。志願者数自体も年々減っており,来年度も定員割れが相次ぐのは必至です(産経新聞)。
一方,もう1つのルートである予備試験(現行の法曹養成システムでは「例外」と位置づけられているもの)については,今年の出願者は何と1万2622人で,初めて法科大学院の志願者数を上回ったのです。予備試験制度は経済的な事情などで法科大学院に通えない人のために設置された例外ルートですが,現役学生らが「近道」として受験する傾向が強まっており,2011年の制度導入以降その出願者は増え続けております。しかも司法試験の合格率はどの法科大学院よりも高いのです。私が昔に受験した旧司法試験はこの予備試験に近いシステムです。
考えて見ますれば,グローバリズムやら新自由主義やら規制緩和やら,やたらに美辞麗句を並べ,弁護士を増やせば弁護士の法的ニーズも増えるはずだ,いや増やさなければならないという安易かつ机上の空論でスタートした現行の法曹養成システム・・・。従来の司法試験は5~600名程度の合格者でしたが,現在では2000名にまで激増しています。でも,司法試験に合格し,司法修習を修了したにもかかわらずどこにも就職できないという人たちがこれまた激増しています。このままだと弁護士という職業に魅力を感じることはできず,ひいては志願者数の減少と質の低下も大いに懸念されるのです。制度設計自体が誤っていたのです。
もう既に完全に破綻しているのですよ。では法科大学院側は,学生を入れて何とか修了させたはいいけれど,修了者のその後の進路をちゃんと把握しているのでしょうか。文部科学省の調査によりますと,法科大学院修了者のうち,大学院側が進路を把握していない人が3割を超えているということが分かりました(産経新聞)。予備試験合格者の司法試験合格率とは違い,法科大学院修了者の合格率が低迷し,その修了後も法曹になれない人が多数いる中,就職先などの進路確保が急務になっており,文部科学省は法科大学院に対し,修了者をちゃんとフォローして支援を強化するよう求めている状況なのです。
ただいずれにしても,昔のような司法試験制度ではなぜいけないのでしょうか。現行の法曹養成システムは少しどころか,完全に破綻していると言わざるを得ません。そのことに当局も気づいているはずなのに,一体全体何を考えているのでしょうか。「勇気ある撤退」が求められております。
とうとう日本維新の会は分裂いたしました。むしろ遅きに失した感もありますし,私自身は石原慎太郎さんが橋下という人物を高く評価してきたこと自体,どうしても解せないのです。この両者では所詮,国家観,歴史観,もっと広く言えば見識という点で全く異なります。橋下という人物はよく自己の歴史認識めいたことを口にしますが,浅薄であり,歴史というものを本当にどの程度勉強したことがあるのか疑問に思うこともあるのです。せいぜいが「ふわっとした民意」頼みの人であり,もう既にメッキがはげているというか,馬脚が現れています。
約1年半後の分裂ですが,今日の産経新聞のコラム「産経抄」には面白いことが書いてありました。橋下氏が率いる日本維新の会と,石原慎太郎氏が率いる太陽の党との合体から軋轢,呻吟,忍耐,そして最終的な分裂の過程について,そして今後の「再婚」の可否について,次のような表現がなされておりました。
「結婚については、フランスの劇作家、アルマン・サラクルーがこんな名言を残している。『人は判断力の欠如で結婚し、忍耐力の欠如で離婚し、記憶力の欠如で再婚する』。基本政策が一致しないまま、『数の論理』で結びついても、早晩瓦解(がかい)に追い込まれる。その記憶を大切にして、再婚に臨んでほしい。」
うまいことを言うものです。ただ私は,「再婚」などはあり得ないと思いますし,すべきでもないと思います。理由は先に述べたとおり,石原さんと橋下氏の両者では所詮,国家観,歴史観,もっと広く言えば見識という点で全く異なるからです。それに何より,石原さんに付いていくと思われる議員の方々には,誠に素晴らしい見識を有しておられる方々が多いのです。中山成彬,中山恭子,平沼赳夫,三宅博,山田宏などなど,錚々たるメンバーです。いずれにしても中山恭子さんのような方がアントニオ猪木さんと同じ党の参議院議員団を構成していたというのは何とも違和感があったのです(笑)。
もうあまり時間もありません。石原慎太郎さんの最後の仕事として,自由民主党の政策のうちで何としても喫緊の課題として成し遂げなければならない部分について,協働関係を形成していき,達成すべきでしょうね。またこれは余談ですが,私が尊敬する政治家は,いずれも共通点があります。それは確固たる国家観と歴史観を持っているということだけでなく,いずれも正しく,美しい日本語を話され,記される方々であるという点です。
5月の連休中に,ある親しい方々と2日連続ゴルフをするという計画はもう恒例になっています。毎年楽しみにしておりますし,今年も5月3日と4日,知多半島のその美しい同じコースでゴルフを楽しみました。
スコアの方は相変わらず満足のいくものではありませんでしたが,ドライバーもアイアンも自分のスイング上の問題点(なかなか直らないクセのようなもの)を改めて認識することができましたし,次こそはとてつもないスコアでラウンドしたいと思います(笑い)。若い頃ならば2日連続なんてへっちゃらだったのですが,この年齢になるとそうでもありません。特に2日目の朝は「大丈夫かな」と不安になるくらいです。しかし,しかしですよ,2日目のラウンド後半になると,不思議ですがもっとやりたいという体になっているのに気づくのです。ヘタなくせにゴルフが好きなんでしょうね。
さて,うちの法律事務所は今年はカレンダーどおりに仕事をしていますので,5日(月)は自宅でゆっくりと過ごしました。普段は平日に朝や昼のワイドショーの類をテレビで見ることはないのですが,この日は疲れていたこともありボサーッとこういう番組を見ていました。それにしても,こういう番組には「コメンテーター」や「文化人」と言われる人たちが次々に出てきます。日曜日の朝の陰気くさい反日番組にも出てきますが(笑)。国際的な問題や社会事象などに対し,もっともらしいことをそつなくコメントしてくれますが,私はあまり信用してはおりません。特に番組のレギュラーにまでなっている「コメンテーター」や「文化人」については,専門分野に関する知見,知識を有している人に対するリスペクトというものがあるのかなと疑問に思います。彼らは毎週,何でも「知っている」からです。また,「コメンテーター」や「文化人」の中には芸能プロダクションに所属している人もいるのです。
テレビ画面でこういう人たちが訳知り顔でコメントしているのを見聞きしますと,評論家の福田恆存先生が述べられた次のような言葉をいつも思い浮かべるのです。
「ところで、『文化人』とは、かういふばあひに意見をきかれる資格ありと見なされてゐる人種であり、また當の本人もいつのまにか何事につけてもつねに意見を用意してゐて、問はれるままに、ときには問はれぬうちに、うかうかといい氣になつてそれを口にする人種である-かう定義していいやうにおもひます。(中略)だが、『文化人』はなんでもかんでも、あらゆることに原因や理由を指摘でき、意見を開陳できなければならないのでせうか。どうもさうらしい。いはゆる『文化人』と称されてゐるひとたちは、無言のうちに日本中から押しよせてくるさまざまな問ひにたいして、古代ギリシァの巫女のやうに、たえず身がまへし、足をすくはれないやうにしてゐなければならないらしい。笑はれないためには適切な答へをしなくてはならない。だが、あらゆることにたいして適切な答へなどできません。(中略)それにしても、かれらは『自分にはよくわからない』とか「その問題には興味がない」とか『いままで考へたこともないことだから、にはかに答へられない』とか、さういつた返事をなぜしないのでせう。(中略)人間はさうなににでも関心をもつはずのものではなし、さうなにもかも始終こころにかけてゐるものではないのに、なにかが起ると、まるでその問題を半生かかつて考へぬいてきたやうな返事をする。そんなばかな話はない。」(「平和論にたいする疑問」)
中国の国家主席をしている習近平という人は,年の割には額が狭いこともあり,全体的にどう見ても賢そうには思えません。この人は3月下旬にはベルリンで行った講演で,「日本は南京大虐殺で30万人以上を虐殺した」などと嘘八百を並べてドイツに行ってまで日本を貶めたのですが,さらには4月下旬に新疆ウイグル自治区のカシュガル地区の視察で警察を訪れた際にも,「和冦との戦いに学べ」として,和冦と戦った先人に学んで反テロ闘争に備えるように指示したばかりです。ここでも日本を貶めており,この人は反日的言動をすることも自己への求心力を維持する手段だと思っているのでしょう。中国共産党全体もそうですが,求心力はそんなものでは維持できません。もっと真剣に民の生活を考え,真摯な気持ちに立ち返り,いわゆる「経世済民」の観点に立たなければ政権の正当性(レジテマシー)が失われてしまうのです。
この習という人が「和冦」うんぬんと言った直後に,新疆ウイグル自治区のウルムチで爆弾テロが発生しました。もちろん一般市民を無差別に巻き込むテロは正当化できませんし,許せません。なお,これは中国共産党によるさらなるウイグル族弾圧の口実を作るための陰謀だとする説もありますが,当局はウイグル族による爆弾テロと発表しています。ただいずれにしても,僧侶の焼身自殺が後を絶たないチベット,そしてウイグルなどなど,少数民族の不満,そして当局によるさらなる苛烈な弾圧の悪循環という現実は否定できないでしょう。
昨日の産経新聞には,評論家の石平さんの評論記事が掲載されていました。それによると,新設された中国中央国家安全委員会の初会合で,委員会トップの習近平が講話をし,「総体的国家安全観」という耳新しい概念を持ち出したそうです。その講話では「政治安全,国土安全,軍事安全,経済安全,文化安全,社会安全,科学安全,生態安全,資源安全」などの11項目を羅列し,それらの「安全」全てを守っていくのが「総体的安全観」の趣旨だというのです。
この11項目のうち習という人が特に強調しているのが「政治,経済,軍事,文化,社会」の5つだそうで,実はこの5項目のうちで外国からの軍事的脅威に対する「軍事安全」以外は全て国内問題としての「安全」を意味し,石平さんは今の中国は「内なる脅威」に怯えていると指摘しています。確かにそうだと思います。政治面では一党独裁,汚職に対する不信感と不満。経済面ではバブル崩壊,シャドーバンキングがらみのデフォルト危機,景気減速。文化面では「イデオロギー」中心の重しが利かず,娯楽やセックスを追い求める大衆文化の蔓延。社会面では年間20万件を超える暴動。
実はそれだけでなく,これは習という人が指摘した「生態安全」,「資源安全」の範疇に入るのでしょうが,PM2.5などの大気汚染,水質汚濁(特に重金属汚染),砂漠化などの問題も看過できません。尖閣諸島沖で領海侵犯を繰り返している場合ではないのです。
習という人も最近さかんに日本を貶めていますが,実際にはもういっぱいいっぱいなんでしょうね。
とうとう中国の裁判所(上海海事法院)は,浙江省の港にあった「商船三井」の貨物船を差し押さえましたね。しょせん中国の裁判所や裁判なんてものは,国際的に通用する「司法」などではなく「政治」なのです。法の支配,法治主義の対極にあります。
なぜそう言えるのか。それは新聞などが指摘しているとおり,「この時期の貨物船差し押さえには、日中関係の悪化を受けた政治判断が絡んでいることは明らかだ。」,「株価低迷,環境の悪化などの問題を抱え、習近平指導部の求心力は低下している。ある共産党筋は、『習指導部は、江沢民時代以降実施してきた愛国主義教育によって、国民の間で高まっている反日感情を利用し、国民の不満をガス抜きさせようとしている』と分析した。」などと報道しているように(産経新聞),やはりしょせん中国の裁判所や裁判の本質は共産党の意向で何とでもなる「政治」なのです。現に,いわゆる戦時徴用工の訴訟などについては,それまでは中国の裁判所は全く受理すらしなかったのに,ここへきて受理し始めています。この豹変ぶりは一体何なのでしょう。日本政府や日本企業に対するゆさぶり以外の何物でもありません。
いずれにしても,日本政府や日本企業としては,最高裁判所が平成19年4月27日の判決で示したように「日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,『日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明』5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきである。」との立場で良いと思いますし,毅然とした態度をとらなければなりません。
カントリーリスクとは,海外投融資や貿易を行う際,対象国の政治・経済・社会環境の変化のために,個別事業相手が持つ商業リスクとは無関係に収益を損なう危険の度合いのことをいいます。中国なんかはカントリーリスクの高さは世界でも有数でしょう。例の尖閣諸島沖の中国漁船衝突問題や尖閣国有化の際に中国全土で繰り広げられた暴動,破壊,略奪,放火のシーンを皆さん忘れてはいませんよね。フジタの社員4人は人質のように拘束されもしました。さらに,チャイナリスクとして恐ろしいのは,知る人ぞ知る,中国の民事訴訟法231条です。中国国内で民事上の問題を抱えている外国人は出国を差し止めるというものなのです。日本へ帰って来れないのですよ(笑)。笑い事ではなく,中国人が日本企業や事業者に嫌がらせしようとすれば,すぐに「給料未払いだ」,「退職金を払え」,「代金が少ない」などといって訴訟等を起こせばいいのです。何としてでも日本へ帰りたいと思うなら,法的にはとても納得がいかなくてもお金を払わなければなりません。
中国商務部の発表では,今年の第1四半期(1月から3月まで)の日本の対中投資額は前年比で47.2%減少し,ここ10年間で最大の減少ペースになっていますし,EUからの対中投資額も減少しております。中国における人件費の高騰や景気の減速(不動産バブル,シャドーバンキングがらみのデフォルト危機など)だけでなく,カントリーリスク(チャイナリスク)をいやというほど認識したからという側面もあると思います。
日本企業としては,それでも中国でのビジネスに打って出るというのなら,こういったリスクを負担する覚悟をしなければならないでしょう。余計なお世話でしょうが(笑)。
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