いよいよ第二次安倍内閣が発足しました。私自身,本当に嬉しく思いますし,大いに期待をしている一人です。暁光というのは明け方の空の光という意味であり,第二次安倍内閣はそのようなイメージです。民主党政権という「まるで異民族からのような支配」から脱却し,正に日本を再生させるための内閣だと思いますし,実は「戦後レジーム」からの脱却の第一歩という意味もあります。どうですかね,ブログの表題にサブタイトルが付いたのは私のこのブログが始まって以来,初めてではないでしょうか。もっとも,「日本を、取り戻す。」というのは,今回の総選挙に当たって自由民主党が採用したキャッチフレーズですが・・・(笑)。昨夜は嬉しくて,ニュース番組をハシゴしましたし,お酒も進んでしまいました。
安倍首相も当面は大変でしょうね。民主党政権によってガタガタになった国の統治機構や意思決定過程などのシステムを,まずは立て直さなければなりませんし,社会主義的な色彩を色濃くもった諸施策(バラマキが中心)の方針転換が必要なのですから。なお,言っておきますが,自由民主党が策定した国土強靱化計画のようなインフラ整備(経年劣化したものの修繕,耐震補強,交通網の整備など)は将来への投資行為であり,国有財産なのであって,このような財政出動はバラマキだとは思っておりません。デフレギャップを埋めるには,金融緩和だけでなく,何よりも需要(お金を使うということ)の創出が必要なのです。
安倍首相が設定する,そして重視する当面の政策課題はデフレ経済からの脱却と景気回復ですが,本当に正鵠を射ていると思います。とにかく企業や事業者が元気にならなければならないと痛感しておりますし,それが雇用にも反映されます。この金融政策,経済対策は1年半から2年くらいのスパンで見ていかないと効果が実感できないので,せっかちにネガティブキャンペーンをしたがるマスゴミ,いやマスコミの情報を無批判に受け入れてはだめだと思うのですよ。
そして,何よりも来年の参議院議員選挙で,あのおぞましき「ねじれ現象」を解消し,安定的な政権基盤を作った上で,決死の覚悟を決めた安倍首相の政策が花開くことになるのです。
閣僚の面々も手堅いと思いますし,内閣官房参与の面々も,民主党政権時代のそれとは全然違って,仕事師の集まりだと思います。
稲田朋美代議士がとうとう入閣しました。本当に期待しちょります。そして,森まさこさんも議員になってまだ5年というのに,入閣しました。確かに彼女の国会質問を見ておりますと,議員としてとても立派な仕事をしていると思います。
司法試験に合格しますと,司法修習生としての修習を経て,それぞれ裁判官,検察官,弁護士として巣立っていくのですが,実は森まさこさん(大臣)は司法修習の同期(47期)で,クラスも同じ。名字が同じ「も」で始まりますから,隣の席で勉強しておりました。いよいよ大臣ですか,是非とも活躍して欲しいと思います。
第二次安倍内閣の発足を祝して,昨夜は少し深酒をして眠くなり,早めに床についたのですが,深夜に目覚めてしまいました。テレビのスイッチを入れてみると,新閣僚の記者会見が行われておりました。私はこの記者会見の時に結構こだわっていることがあります。新閣僚が登壇したり,降壇したりする際に国旗(日の丸)に一礼をするかどうかということに。稲田さんも森さんも美しくそれぞれ登壇,降壇時に一礼をしておりました。それに引き替え,おい,山本一太君!私はこの人はマスコミに出たがりのタイプで余り良い印象はもっていなかったのですが,案の定この人は登壇時も降壇時も国旗(日の丸)を全く無視しておりました。そんなことではいけません。
予想されたこととはいえ,それにしても自由民主党の安倍晋三総裁へのマスゴミ,いやマスコミのネガティブキャンペーンはひどいですね。朝日新聞などをはじめとするマスコミは,まだ組閣前なのに批判的,懐疑的,世論誤導的な記事ばかり載せ,訳の分からないコメンテーターにそんな趣旨のコメントをさせまくっております。とりわけ朝日新聞などは,安倍総裁を追い落とすことを社是としているくらいですからね(笑)。
同じ政権誕生時でも,3年前の民主党政権誕生の時の礼賛記事のオンパレードとは顕著な違いを見せております。そもそも民主党政権というあの史上最低,最悪の政権を誕生させてしまった最大の戦犯はマスコミと言っても過言ではないのですからね。本当に,本当に,国民一人一人が情報リテラシーを研ぎ澄ます必要があります。
2月22日は日本政府が竹島を日本に編入した日なので,この日は「竹島の日」とされています。自由民主党は衆議院議員選挙の政策集の中で,この「竹島の日」の記念式典を政府主催で行うことを明記しており,これはとても画期的なことなのですが,自由民主党は,来年の「竹島の日」にこれを初めて政府主催とすることについては,当面は見送る方針にしました。このことを朝日新聞は,鬼の首を取ったように報道しております。
朝日新聞のこの報道の裏にあるのは,安倍晋三もいざとなったら腰が引けているではないか,ブレているではないかと暗に示唆して保守層を動揺させる魂胆なのでしょう。でも安倍総裁には深謀遠慮があるのだと思います。どういうことかというと,来年の参議院議員選挙で,自由民主党が参議院でも過半数を占めるまでは,あまりガタガタさせず,地道にしっかりと仕事をして,まずは国民に実績を示していこうということです。慌てることはない。それにまだ新内閣が発足した訳でもないし。そして参議院でも過半数を制した暁にこそ,いわゆる「ねじれ」が解消され,しかる後には安倍カラーを存分に発揮し,覚悟をもって政治家としての本懐を遂げようとしているのです。深謀遠慮なのですよ。私はそれでいいと思います。
来年の参議院議員選挙では,あのおぞましき「ねじれ」を見事に解消し,今度こそ決定力をもつ国家にしなければなりません。
それにしても,テレビ朝日系列の「報道ステーション」という番組を,私はイヤイヤ見ております。なぜって,あの時間帯にはあれしか報道番組がないんですもの。そして私の癖は,この番組の報道部分などは見るけど,古館という勘違いキャスターもどきが画面に登場すると,とたんにチャンネルを変えます。もの凄い早業です(笑)。あっという間に変えてしまいます。一種のパブロフの条件反射なんでしょうか(爆笑)。そして,もうそろそろ画面が変わっているなという時期を見計らって再び「報道ステーション」にチャンネルを合わせて報道部分を見て,古館なんとかという人が再び画面に登場すると,あっという間にチャンネルを変えるということの繰り返し。思うに,古館なんとかという人は,プロレスか何かの実況をやっていればいいのではないかと・・・。
日本のマスコミというのは,記者団,カメラマンなんかも本当に程度が低いなとつくづく思います。ノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥教授に対して,オリンピックの時のように「メダルをかじってもらえますか」と所望したというのです。バカ丸出しです。オリンピックの時だって私はあの「メダルかじり」が大嫌いです。山中教授が「それはできません。」と拒絶されたのは当たり前です。
「日本を、取り戻す。」というのは,今回の総選挙に当たって自由民主党が採用したキャッチフレーズでしたね。本当に,着実に取り戻して欲しいと思っております。「まるで異民族に支配されてきたかのような」この3年3か月でしたからね(笑)。
こんな私のブログでも,言い過ぎれば公職選挙法違反のおそれもありましたので,ここ当分の間は静かにしておりました(笑)。今回の総選挙で,自由民主党は294議席を獲得しました。民主党政権という「異民族のような支配」から脱却し,正に日本を再生させるためには是非とも必要不可欠な議席数でした。本当はもう少し欲しかったのですが・・・。
それにしても,民放の選挙速報をハシゴしておりましてつくづく思いましたのは,マスコミというのはなぜあんなに酷いのでしょうか。近い将来成立するであろう安倍政権を早くもバッシングしております。中国や韓国の警戒的な反応をこれ見よがしに報道し,あたかも「安倍政権では危ないよ。ほら,中国様や韓国様もこんなに警戒しているでしょう?」と言いたげです。バカなマスコミ報道から垂れ流される情報を的確かつ賢明に選り分けるだけのリテラシー(能力)が国民に要求されています。
確かに今回の選択は,結果的に最善だったと思うのですが,比例代表においてはいわゆる無党派層の票のかなりの部分が「日本維新の会」に流れている実態に愕然としました。さすがに「卒原発」と「子ども手当」が票に結びつくといった魂胆で有権者をばかにし切った「日本未来の党」のいかがわしさには,有権者も気付いたのでしょうが,「日本維新の会」に流れた「ふわっとした民意」の存在は恐ろしいと思いました。「何だか分からないけど,何かやってくれそう。」という安易な気持ちで投票行動に移るいわゆる「B層」的な存在が厳然としてあるのです。怖いと思います。次の参議院議員選挙までの間に石原さんと橋下という人物とが「離婚」するのを願っております。維新で当選した中山成彬さんや西村眞悟さんらは,いずれ自由民主党に移りなさい(笑)。
故中川昭一さんの配偶者で,このたび夫の遺志を継いで出馬した中川郁子さんの当選は見事であり,大変良かったと思います。私も長いこと生きておりますが,ある政治家の訃報に接して涙が流れてきてしまったのは,この故中川昭一さんという立派な政治家の時だけでした。国士といってもいいし,能力が非常に高く,何よりも愛国心がありました。経済産業大臣や財務大臣の時代に彼が行った仕事は本当に素晴らしいものでした。麻生太郎や中川昭一,安倍晋三という人材こそが日本を背負って立つべきなのです。中川昭一という得難い人材を喪ったことは痛恨の極みです。彼を死に追いやったのは,酷いマスコミと一部の全く国益というものを考えない財務官僚その他の連中だと思っております。
さてさて,自由民主党の安倍晋三総裁は,当面は盤石の組閣人事の構想練りと,将来の日銀総裁人事構想でしょうね。安倍総裁は早速にアメリカのイェール大学教授で国際金融論の泰斗である浜田宏一氏を内閣官房参与に起用する方針を固めました。着々と手を打ってくれております。何よりも14,5年も続くデフレ経済を脱却し,名目GDPを増やし,ひては税収を増やしていき,日本人と日本企業を元気にしていかなければなりません。
昨日は嬉しくて嬉しくて晩酌の量がいつもより多くなってしまいましたが,今この時期にはやはり自由民主党でなければだめなのだとつくづく思いました。何よりも人材が豊富ですし,経験と実務能力があります。そしてさらに一つだけ指摘しますと,今回の総選挙ではいろんな政党がいろんな政策をアピールしておりましたが,「教育の再生」に言及した政党が自由民主党以外にあったでしょうか。私自身が常日頃思っておりますのは,国家の存立のためには「教育の再生」こそが極めて重要だということです。民主党のような政党は「高等学校授業料無償化」というバラマキのようなことはやりますが,教育のあり方や内容そのものについては全く言及せず,かえって「心のノート」のようなものを廃止しております。こういった意味でも,「教育の再生」を訴えた自由民主党こそ信頼に値すると思っているのです。
姉夫婦からお歳暮が届きました。今年は鮭でした。確かに冬にいただく鮭は美味しいですね。私がその句や境涯い高い関心をもっている孤高の俳人,井上井月も冬に次のような句を作っております。
「行く年や尾鰭(をひれ)も広き鮭の魚(いを)」
同じく井月の年の瀬らしい句としては,次のようなものもあります。
「売に来る薄塩物や初しぐれ」
「初冬や庵(いほ)のあたりを去らぬ鳥」
「朝市の昼へ持越す師走かな」
冬は割と生ものの保存も利きますから,塩は薄くてよいのでしょうね。鳥も寒いやら人恋しいのか,なかなか庵を去ろうとしません。正月用の食品や材料を買い込んでおかなければならないのでしょうか,朝市も延長して昼間で持ち越されます。いかにも年の瀬らしいですね。
さて,この年の瀬の総選挙はどうなるでしょうか。実は私,「第三極」と称されている勢力(日本未来の党やら日本維新の会などなど)には腹の底から怒っております(笑)。とにかく無責任です。ありとあらゆる面で無責任ですが,例えば「脱原発」,「卒原発」なる言葉とスローガンです。彼らは「脱原発」,「卒原発」に至るまでの工程表を具体的に示しているでしょうか。発電量,代替エネルギーの裏付けやコスト,消費者の負担する電力料金の額などについて,「脱原発」,「卒原発」に至るまでの経時的な試算を示しているでしょうか。そしてそれらは真に裏付けのあるものなのでしょうか。
彼らにとってはドイツなどは「脱原発」の先輩なのでしょうが,ドイツは成功していますか。電力料金は跳ね上がり,いわゆるクリーンエネルギーのコストも極めて高く,採算が合っておりませんし,国民も高額な電気料金の負担に押しつぶされそうになっております。何よりも,エネルギーだって安全保障が観念できる訳でして,エネルギー面での生殺与奪の権利を他国に握られてしまってもよいのでしょうか。
これまでに営々と築き上げてきた日本の原子力技術が海外に続々と流出し,日本から原子力技術がなくなってもよいのでしょうか。これらを学ぶ時代の学生らが人っ子一人いなくなってもよいのでしょうか。100%安全,絶対安全なんてことはないんです。でもそのような状況でもできるだけ努力してエネルギーを確保し,国民経済も維持発展させ,技術力を積み重ねていくしかないでしょう。政治家がやるべきことは,「脱原発」「卒原発」のシングルイシューではないはずです。物事は総合的に捉えられなければなりません。ただでさえ円高,デフレ経済にあえいでいる企業や国民は倍増する電気料金や代替エネルギー(化石燃料等)の購入代金を負担できるでしょうか。このままでは日本という国が足腰立たないくらいに疲弊してしまいます。
特に日本未来の党なんてのは,バックに小沢一郎という俗物がいますね。案の定,またまた子ども手当一人月額2万6000円というバラマキを公約しています。これに要する予算は約5兆3000億円であり,国の守りのための約4兆7000億円の防衛予算を超えております。彼らとしては,「脱原発」と「子ども手当」は絶対に票に結びつくぞ!今はこれでいくしかない,てなもんでしょう。無責任の極みです。本当に有権者もナメられたものです。
ここ数日の民主党の野田代表と自由民主党の安倍総裁の言動に接してつくづく思いましたのは,政治家としての見識と覚悟という面で,野田代表と安倍総裁とでは大人と子どもほどの差があるなということです。痛感したといってもよいくらいです。どちらが大人でどちらが子どもですって?そんなこと,言うまでもなく安倍総裁が大人で,野田代表が子どもです。とりわけ経済問題(財政・金融政策)については両者の見識の差は歴然としております。
例えば,野田代表は,最近の安倍総裁の経済問題に関する発言について,デフレ脱却を目指した2%程度のインフレ目標政策や国債の買いオペを非難し,さらには「日銀の独立性」を死守すべきであるかのようなことを言っております。野田代表は得意満面に「ハイパーインフレのおそれ」などとも述べております(爆笑)。彼は本当に何も分かってはおりません。デフレ容認の財務官僚の走狗といわれるゆえんです(笑)。ハイパーインフレーションという現象は,フィリップ・ケーガンの定義によると,インフレ率が毎月50%を超えることとです。インフレ率が毎月50%も上昇し続けると1年後には物価が130倍になる,インフレ率が13000%になるという超異常現象ですよ(笑)。リヤカーいっぱいのお札でバター1個を買うような・・・。終戦直後の日本でもハイパーインフレの水準にははるか遠く及びません。野田という人は一体全体何を言っているんでしょうか。バカな取り巻きに耳打ちされ,「あっ,このフレーズは使える!」てなもんでしょう。
それに「日銀の独立性」といっても,中央銀行の独立性には「目標の独立性」と「手段の独立性」の2つの意味があります。中央銀行には「手段の独立性」はあっても「目標の独立性」まではないのだ,というのが世界の常識です(高橋洋一著「官愚の国」199頁以下,祥伝社)。手段だけでなく目標まで自由に決められる,宿題の量を自分で決められるとなったら,誰だって楽な目標,宿題を決めたがるじゃないですか。特にぬるま湯体質の日銀ではなおさらです。のび太似の白川総裁なんて,いつも景気や雇用や国民の暮らし向きなんか所詮他人事みたいな顔をして,何もしないままです。世界の中央銀行のトップは政府が決めた目標あるいは自らが決めてコミットした目標を達成できなかったら,確実に責任を取らされます。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)の議長だってしかりです。でも日銀総裁はそのような責任は取りません。だてに3000万円を優に超す報酬が保障されている訳ではないのというのに。
この「目標の独立性」と「手段の独立性」の関係などについて,心ある経済学者の一人である岩田規久男教授は次のように述べております。
「・・・私たちがまずしなければならないことは、インフレ目標政策を導入することである。具体的には、日銀法を改正して、政府が物価安定目標を決定し、日銀にその目標を中期的に(1年半から2年程度の期間)達成することを義務付ける、ということである。ただし、物価安定目標の達成手段の選択は日銀に任せ、政府は口を出さない。このように、日銀法を改正すれば、世界標準の中央銀行と同じように、日銀の政府からの独立と役割が定まる。」(岩田規久男著「日本銀行デフレの番人」195頁,日経プレミアシリーズ)
ですから,安倍総裁が日銀法の改正に言及したのは極めてまっとうなことなのです。それに安倍総裁が言及した2%程度のインフレ目標政策や建設国債の買いオペについても,この20年近くも続くデフレ脱却のためには極めてまっとうな処方箋であり,御用学者以外の,しかも心ある経済学者はみんなそのように述べております。
安倍総裁は自分のホームページでもテレビ番組でも公開しておりましたが,経済学(国際金融論)の泰斗,イェール大学の浜田宏一教授から安倍総裁のもとに激励のファックスが送られてきたということです。そのファックスの一部を引用しておきましょう。
「日銀法改正以来、日本経済が世界諸国のほぼテールエンドの足跡を示していることから、そこでの金融政策が不十分であったことは明らかです。日本経済の好ましくない症状として、デフレ、円高という貨幣的な症状が出ているのですから、それに対するのは金融拡張が当たり前の処方箋です。野田首相は、金融に訴えるのは世界の非常識といわれますが、〈Wall Street Journal〉金融に訴えないという議論こそ、現在の世界の経済学から見れば非常識です。野田首相は、地動説の世界で天動説〈日銀流金融理論〉を信奉しているようなものです。このことは、最近私がマンキュー、ハバード,ノードハウスなど超一流学者とインタビューして確認しました。政策手段としてはインフレ目標が望ましいと思います。(中略)これだけ長いデフレが続いて、人々のデフレ期待が定着している日本経済に活を入れるのは、安倍総裁の2~3%がまさに適当といえると思います。(中略)言い換えれば日本経済の奇跡的成長は穏やかなインフレと共存していたのです。そして日銀はインフレが昂進しそうになればいつでも制御した実績があります。このような歴史から見れば、デフレを克服するとハイパーインフレになるというのは非現実的な脅しに過ぎないのです。ゴルフにたとえれば、今の日銀は雇用改善、景気回復という目標のホールを目指さずに、ホールの向こう側には〈ありもしない〉崖があると称して、バンカーに入ったボールをホールの方向に打たない、あるいはパターでしか打たないゴルファーのようなものです。」
安倍総裁のインフレ目標等の発言で,見事に市場は反応しました。デフレを脱却するには,穏やかな「インフレ予想」を醸成していくことと,しかるべき人や機関がコミット(説明をして当該説明内容に責任を持つこと)することが極めて重要です。これに反応した市場では,株価は9300円を超えましたし,円安基調となりました。政治家は経済問題(財政・金融政策)も十分に勉強していなければならないでしょう。このように安倍総裁と野田代表とでは,その見識や覚悟という面で,両者間に明らかに大人と子どもほどの差があると言わざるを得ません。
元東京都知事の石原慎太郎さんが,とうとう日本維新の会の代表になりましたね。
前にもこのブログで書きましたが,この人が橋下徹という人物をなぜあのように無批判かつ無邪気に買いかぶっているのか,本当に理解できないでいます。人を見る目がないにもほどがある。石原慎太郎さんは,自分はワンポイントだ,あとは橋下さんに譲るというようなことも言っておりますが,石原さんは何とか「第三極」として大同団結して今回の総選挙を戦い,橋下という人物の好きな「ふわっとした民意」に支持されて相当数の議席を獲得した上で,たとえわずかな期間でもいいから悲願の内閣総理大臣としての地位を手に入れたいのでしょうか。要するに最後の賭けに出たのでしょう。そんな穿った見方をしてみたくもなりますよ,ホントにね。
「晩節」という言葉は,晩年という意味だけでなく,晩年の節操という意味も含んでおります。そういう意味では,傘寿(80歳)となった最近の石原さんの行動を見ておりますと,節操というものがありません。突然の都知事の辞任,たちあがれ日本の平沼赳夫さんらを強引に説得した上での「太陽の党」の設立,減税日本の河村代表との記者会見,ほぼ全面降伏的な「日本維新の会」への合流(あっという間の「太陽の党」の解消)などなど・・・。結局は晩年の節操というものがないのですから,晩節を汚したと評価されても仕方ないでしょう。
橋下徹という人物はいずれ馬脚が表れると思っていますし,その取り巻き連中は所詮は有象無象の集まりで,全く信用しておりません。橋下という人物は,その「まっとう勝負!」(小学館)なる本の中で,実際に次のような発言をしております(なお,これは名著「維新・改革の正体」(藤井聡著,産経新聞出版)の204頁からの引用)
「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためがついてくる。自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。(略)別に政治家を志す動機付けが権力欲や名誉欲でもいいじゃないか!(略)ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ!ウソつきは政治家と弁護士の始まりなのっ!」
国民や国のために奉仕するのは「嫌々(いやいや)」なんですと。政治家を志すのは自分の権力欲と名誉欲を満たすためなんですと・・・。こんな人物が「第三極」の核になっているのですし,バカなマスコミはやたらに自由民主党をけなし,「第三極」の存在をはやし立てております。それに「日本維新の会」は,小異(実は「小異」どころの騒ぎではないんですけどね)を捨てて大同に付いたなどといって,いろんな威勢のいい約束をしております。でも私は絶対に騙されたりはしません。少なくとも私だけはっ!(笑)。
「偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。」(イギリスの哲学者エドマンド・バークの『フランス革命の省察』より)
もう皆さんお分かりだと思いますが,沈みゆく船とは民主党のことです。11月16日衆議院解散,12月4日告示,12月16日投票ということに相成りました。
思い起こせば,平成21年の8月末,308議席という空前の数を民主党という政党に与えてしまう過ちを有権者は犯しました。私はその直後のこのブログで,絶体絶命となった織田信長が潔く発した「是非に及ばず」という表現をして,次の総選挙までは完全に諦め,この売国的な民主党政権を呪いました(笑)。その後,国士ともいうべき中川昭一という立派な元代議士の訃報に涙しました。
でもようやくです,民主党政権というどうしようもない存在が瓦解するのは(爆笑)。私が陰ながら応援する政治勢力の先生方,頑張ってくださいね。天国の岸信介先生も激励してくれていますよ。
それにしても,「沈む船から逃げることネズミの如し」という言葉がありますが,正にこの言葉がピッタリといった行動をとっている誠に見苦しい民主党議員がおりますし,これからも続々と出て来るでしょう。日本維新の会に既に合流した議員もおりますし,元環境相の小沢鋭仁という民主党議員も,日本維新の会への合流が取りざたされております。見苦しいですね。彼らは何故今の今まで民主党みたいな政党に籍を置いていたのでしょうか。良いと思っていたからでしょうに。なぜ次の総選挙ではそれまで良いと思っていた「民主党」の看板では出ないのですか。
「沈む船から逃げることネズミの如し」という言葉は,船底で生活しているネズミも,どうやらこの船は沈みそうだなと直感すると,本能的にその船から逃げていくということです。船から逃げるっていったって,それじゃあ海に落ちてしまうですって?そうではありません。その船が桟橋や波止場に停留している間に,ロープなどを伝って出航前に陸地に逃げるのです(笑)。民主党内からはそういう議員が後を絶たなくなるのではないでしょうか。
ただ,マスゴミ,いやマスコミは,今度はさかんに「既成政党vs第三極」などといった表現をして,煽っておりますが,「第三極」という言葉に騙されはしません。少なくともこの私だけは(笑)。既成政党の中にも,少なくとも今までの民主党とは完全にレベルの違う,ちゃんとした存在はあるのです。それに,「第三極」といったって,「大同団結」などをしなければならないようなバラバラ状態ではありませんか。皆さんにもご経験があると思いますが,私は以前,すごく先を急いでいて,駅のプラットホームまで大急ぎで走り込み,出発の鐘が鳴る中でそこに到着していた列車にその行き先も確認せずに「とにかく乗っちゃえ!」と言う感じで飛び乗ったことがありました。やはり行き先が違う列車で,途中で乗り換えたりして難儀したことがありました。「第三極」の行き先は現在明確なのでしょうか。ひょっとしたら「民主党駅」よりももっと悲惨な目的地かもしれないじゃありませんか。
本当ならば,日本国の首相というのは凄いんですよね。歴史と伝統があり,世界最大の債権国,まだまだ民度も高い,名目GDPで世界第3位(実質GDPでは世界第2位)という立派な国の行政の最高責任者なのですから。
それにしてもこの反日売国の民主党政権が始まって3年を超えてしまい,この期間はまるで「異民族に支配されてきたかのような」(産経新聞の阿比留記者の表現),悪夢のような期間でした。やはり日本国の首相たる者,ちゃんとした人でなければなりません。
日本国の首相に相応しいかどうかという点について,最近読んだ雑誌「WiLL 12月号」の中に,思わず「なるほど!」と膝を叩いてしまったジャーナリスト久保紘之さんの発言がありましたのでご紹介します(同所108頁)。
編集部「しかし不思議なのは、自民党総裁選の石原伸晃氏にしろ、民主党代表選の赤松広隆氏、原口一博氏にしろ、自分に総理が務まると本気で思っているんでしょうかね?」
久 保「それは、国家と向き合って自分が首相に相応しいかと自問自答するのではなく、前の人間と比較するからですよ。野田ができるなら、菅ができるなら、鳩山のアホができるなら、俺にもできるはずだ、と。国家の重大事ではなく、前の人間との比較でしか見ていない。だからできると錯覚しちまうんだ。」
素晴らしいご意見ですね。正にそのとおりです。自分が日本国の首相に相応しいかどうかを自問自答できる誠実さを有している者でなければね。そしてその上で,その自問自答をクリアし,確固たる国家観と「覚悟」をもった人こそが就任すべきですね。鳩山,菅,野田の面々でも務まったのならば,俺も(前原)とか,私も(細野)とかといった乗りで延々とやってもらっては本当に困ります(笑)。
もう一つ,最近「なるほど!」と思った一節がありました。
「ウォーレン・バフェットが来日したときに、『新聞に正しいことが書いてあるのは唯一、前の日の野球の結果だけだよ・・・・』と独特のいい方で皮肉っていました。彼は常日頃から、『新聞には役に立つものも書いてあるかもしれないが『事実』が書かれることはない・・・・新聞社の人間のある一定のバイアスがかかっていると考えて読みなさいよ』といっています。」(「なぜ日本経済は世界最強といわれるのか」(山口正洋著,東邦出版177頁)
メディアリテラシーのことです。当然私を含め,有権者,読者も情報を賢く選択,選別できるだけの能力を高めなければなりませんね。朝日新聞などは自由民主党の安倍晋三のような立派な代議士を葬り去ることが「社是」のようですから,こういった新聞社らによるネガティブキャンペーンに騙されてはならないと思っております。
元東京都知事でこのたび新党を立ち上げようとしている石原慎太郎という人については,さまざまな評価がありますが,私自身としては基本的には国を憂えている人であり,国家観もしっかりしていてそれなりに評価してきました。それに作家でもあり,何より日本語が正確です。
でも石原慎太郎さんが日本維新の会の橋下徹という人物をなぜあのように無批判かつ無邪気に買いかぶっているのか,本当に理解できないでいるのです。小異を捨てて大同につくなどということを言っていますが,日本のエネルギー政策の根幹にかかわる原発をめぐる議論や消費税の地方税化,永住外国人に対する地方参政権付与などの問題が果たして「小異」なのでしょうか。
私は橋下徹という人物はいずれ馬脚が表れると思っていますし,「日本維新の会」などは有象無象の集まりだと思っており,全く信用しておりません。橋下という人は,石原慎太郎さん個人とだったら合流してもいいけど,たちあがれ日本のその他のメンバーは要らないなどと,平沼赳夫さんらのような立派で実績のある代議士をコケにしています。敬意も何もあったものではありません。そういう気質にそもそも違和感を覚えるのです。
橋下という人は,例の大飯原発の再稼働の問題についても全く定見というものがありませんでしたし,消費税の地方税化ですって?これは,地方交付税を廃止した上で消費税を地方の代替財源にするという日本維新の会の政策です。一笑に付されるべき政策ですし,識者らからは笑われております。地方交付税の総額と消費税の税収総額との差額が約13兆円になるというのに,どうするのですか。各地方自治体は総額約13兆円分の緊縮財政で乗り切るのか,それともこれでもかこれでもかと消費税率を上げ続けるかしかありません(笑)。
彼らの主張は,要するに道州制の導入を前提に,各地方で好きにやらせろというもので,日本という国を緩い連邦制みたいな状態にしたいのでしょう。中国の各地に割拠する軍閥みたいな・・・(笑)。しかも根底にある発想は新自由主義です。
石原慎太郎さんも人を見る目がないなと思います。産経新聞に,自民党の森喜朗という長老が,かつて東京都知事選に再度立候補するように石原さんに強く促した際に,石原さんはようやく重い腰を上げ,「(長男の)伸晃をよろしく頼む。」と言ってこれに応じた。そしてその時の約束があったからこそ森氏ら長老も9月末の自民党総裁選では石原伸晃を応援したという,一種の暴露記事が掲載されておりました。親ばかとはいえ,石原伸晃などとは・・・。やはり人を見る目がない(笑)。
昨晩はBSで「プライムニュース」という番組に平沼赳夫さんが出演されていました。尊敬する政治家だけに,日本維新の会との今後の関係について質問を受けて苦笑いで誤魔化すしかなかった平沼さんの姿を見ていて,とても痛々しかった。どう考えてもたちあがれ日本のスタンスは自由民主党の中の真正保守派と同じでしょう。合従連衡のあり方を間違わないで欲しいと思います。
人を見る目という言葉ですぐに思い起こすのは,豊臣秀吉が見いだして活用した竹中半兵衛と黒田官兵衛の二人,そして日露戦争の直前,参謀総長だった大山巌が当時内務大臣で降格人事に当たるにもかかわらず参謀本部次長に抜擢した児玉源太郎のことです。児玉源太郎はその後満州軍参謀総長に就任し,戦争の遂行と的確な収束時期の見極めを含め,最大の功労者の一人でした。
人を見る目が大事です。
そこは私が朝の徒歩出勤の際によく通りかかる場所なのですが,春になればそれはそれは見事な桜を咲かせる木々がいっぱいある場所です。今朝もそこを通り過ぎようとした時,偶然に左肩に葉っぱが一枚落ちてきました。黄色と橙色とが微妙に混じったような色の葉でした。ここの木の葉っぱもいよいよ落葉時期なのか・・・。時間の通り過ぎるのも早いものです。「一葉落ちて天下の秋を知る」(「淮南子」説山訓)というやつでしょう。
さてそれにしても,民主党政権にはもう言葉もありません。テレビニュース等の画面で野田,輿石,岡田,前原,枝野,玄葉,田中真紀子,樽床,細野・・・こんな連中の顔が放映されるたびに胸が悪くなり,絶望的な気持ちになり,思わず画面から目をそらしてしまいます。「顔を見るのもイヤ」という状態です(笑)。この約3年間は,正に「異民族に支配されてきた」ような感じです(産経新聞の阿比留記者の表現)。この売国的で亡国的な政党,政権のおかげで日本国と日本国民は本当に酷い目に遭いました。
野田といういたずらに太った人物は,前任者が菅という人間だっただけに,そして「ノーサイドにしましょう,もう。」などといった演説のうまさゆえに,誠実な人柄であると勘違いされてきたふしがありますが,実際には極めて不誠実で傲岸不遜な人物だと思います。それにあの宙を泳いでいるようなうつろな目,いっぱいいっぱいで全く余裕がないような表情,とても一国の宰相の目ではありませんし,その器でもありません。もう既に民主党政権の正統性(レジテマシー)が失われ,一刻も早く国民の信を問うべき秋(とき)がきているのに,とにかく衆議院解散が怖い,少しでも長くこの政権の座を占めていたいという一心で特例公債法案などを人質にとって「立てこもり」を続けています。見苦しいったらありゃしない。
自民党政権時代は,予算案とその財源となる特例公債法とは当然のことながらセットで国会を通過させてきました。極めて当たり前のことです。ところが,予算案は衆議院の優越がありますけど,法律案である特例公債法案はそれがありませんから,菅内閣の時からはただただ延命のために,予算案とは切り離して特例公債法案の審議を先送りにしました。野田といういたずらに太った人物もこの手法に味をしめ,延命のために予算案と特例公債法案とを切り離し,取り敢えず予算案だけ通しました。未だに特例公債法案が審議されず先送り状態となっているのは,とりもなおさず民主党政権の失政によるものです。そもそもがそうなのです。このままですと,公債発行ができずに財源が枯渇し,地方にお金が回らなくなり,地方は地元の金融機関(銀行等)からお金を借りて行政サービス等を続けていかざるを得ず,その利子負担も結局は税金でということになるでしょう。酷いものです。
現在は特例公債法案が「人質」になっておりますから,民主党としてはこれの成立に自民党が協力しなければ自民党のせいにすればよいといったところでしょう。自分たちの失政を棚に上げて,本当に酷いものだと思います。
いずれにしても,もう民主党は次の総選挙で泡沫政党に成り下がります(笑)。これまでの約3年間の失政続きの状況を考えれば,当然の報いです。私は絶対に許さない。「羮に懲りてなますを吹く」という言葉がありますが,酷い目に遭った日本国と日本国民も「なますを吹く」くらいの覚悟で,マスコミがこの先何と言おうと,二度とこのような売国的で亡国的な政党を政権の座に付けるようなことがあってはならないと思います。国が滅びます。
石原新党ですか・・・。日本維新の会との連携,連帯を取りざたされておりますが,どうなんでしょうかね。冒頭に黄色と橙色とが微妙に混ざり合った葉っぱのことを申しましたが,果たして価値観や政策の一致が見られるのでしょうか。私は,石原新党の母体となるであろう「たちあがれ日本」を構成している個々の議員の識見には敬服しておりますが。