いつもこのブログを読んでいただき,誠にありがとうございます。今,何をしておられます?コーヒーを飲みながら読んでるんだったらそれほど問題はありませんが,何か食べながらだったら・・・
もしもお食事中だったら,もうこの辺で読むのをお止めになった方が良いかと存じます。大丈夫ですか?・・・本当に大丈夫ですか?(笑) それでは唐突ですが,皆さんにご質問いたします。
もしもどうしてもそういう目に遭わなければならない運命だとしたら,皆さんはどちらの方をお選びになりますか?「下痢」になるのと,「便秘」になるのと,どちらですか?(爆笑)
たとえ数日間だったとしても,どちらもイヤですよね。それが数か月か数年間だったら,なおさらどちらも選びたくないですよね。でも,どうしても選ばなければならないとしたら,皆さん,「下痢」と「便秘」のどちらを選びます?
ある政治ブログを読んでいたら,民主党代表選を評して,「下痢」と「便秘」の選択にたとえた人がいるんですって。お食事中の人には申し訳ありませんが,本当に絶妙の表現ですよね。うまいもんだなぁ・・・。数日前のこのブログで目くそと鼻くそにたとえたんですが,このたとえの方が遙かにインパクトと説得力がありますよね。
いずれにしても,どちらが代表,そして首相に選ばれるにしても,日本国及び日本人のためにならないことだけは間違いないと存じます。私はふだんあまり確信を持てないタイプなんですが,この結論だけは確信をもっております(笑)。アメリカのクリントン国務長官の最近の演説の中で,同盟国に言及する常套句(順)になっていた「日本,韓国,オーストラリア」が「韓国,日本,オーストラリア」に変更されました。これはオバマ政権の外交指針を示す演説として注目されていたものであり,日本に対する何らかのシグナルなのではないでしょうか。また,ASEAN諸国も最近の日本の外交・内政の状況には失望を隠しておりません。本当にそれはそのとおりだと思います。米軍海兵隊普天間基地移設問題などではあのルーピー鳩山が対外的には全く恥ずかしいほどの醜態をさらし,菅政権の下でも遅々として進まず,小沢元幹事長はそれまでの日米合意をひっくり返さんばかりの発言を繰り返しております。
少しばかり言葉が過ぎましたかしら。でも,くどいようですが皆さん,「下痢」と「便秘」,どちらを選びます?
民主党代表選挙も宴たけなわである。小沢元幹事長の出馬で本当に面白くなってきたと思う。僕自身は何か裏付けがあって言っている訳ではないが,今度の代表選挙はどちらが勝っても,悪夢の民主党政権の終焉の時期が早まったと思うからである。
それにしてもここへ来て,菅内閣の支持率がアップしているという。菅内閣が最近国家,国民にとって何か見直されるようなことをしただろうか。否である。菅直人が首相になって何かやったとしたら,参議院選挙に負けたくらいである。またせいぜい歴史に汚点を重ねる「菅談話」というものを発表したくらいであり,何も国家,国民のためになっていない。どちらが首相にふさわしいかという世論調査では圧倒的に菅直人がリードしているが,その最大の理由が「短期間で首相が替わるのはよくないから」という極めて消極的なものである。また,さる新聞記者の伝によると,菅直人という人は「もぐらたたきの政治家」と呼ばれているらしい。政治家としてのしっかりとした国家観や中長期的ビジョンはなく,ただ単に目の前に現れた政治マターを反射的に「もぐらたたき」のように叩いて過ごしていくということのたとえである。また,評論家(元警察官僚)の佐々淳行氏によれば,菅直人という人は彼が学生運動をやっていた時代から公安当局から「第4列目の男」と呼ばれていたそうだ。警察に検挙等されるのはだいたいデモ隊の3列目くらいまでなので,自分は比較的安全な第4列目でデモ隊をアジるだけアジってコソコソしていたということのようである(笑)。しょせんこの人は市民運動家出身である。市民運動家がダメだと言っているのではない。日本国の首相という立場にありながら今も「市民運動家」の域を出ないというのがダメなのである。この人が幕末の志士高杉晋作などに言及して欲しくない。覚悟というのものが全然違うのである。
じゃ,それならばということで小沢一郎でもないでしょう。街頭の演説会に集まっている人がインタビューを受けて,「もうこの閉塞状況を打開するのは豪腕の小沢さんしかいない!」などと述べている人が結構多い。おいおい,小沢一郎という人が豪腕なのはいいけど,その標榜する政策の一つ一つを勉強したことがあるのか。拙速かつ裏付けなしに作成したマニフェスト至上主義。「子ども手当ては満額支給します」だと(笑)。その他のバラマキにも積極的であり,財政規律はガタガタになります。またこの人は韓国訪問の際に永住外国人地方参政権実現を約束している人ですよ。それと空虚なまでの国連至上主義。ツッコミどころは満載なのであります。
この代表選は要するに目くそ鼻くそを笑うのたぐいでしょう。
あとは昨日の読売新聞の社説でも取り上げられていたけど,この代表選の票(ポイント数)は民主党員・サポーターの票(ポイント数)が約4分の1を占めるにもかかわらず,民主党員やサポーターになるための資格としてはいわゆる国籍条項というものがない。僅かなお金さえ払えば外国人でもなれるのである。この政党の衆議院議員が300を超えている以上,「総・代分離」ということでもない限り,この政党の代表を選ぶということはこの愛すべき日本国の首相を選ぶということに帰着する。とても重要な選挙ではある。これに簡単に外国人が関与し,その政治的意思を反映させることができるというシステムには危機感を覚える。この政党の支持団体を見わたせばなおさらその感を強くする。さらには,自分は民主党の党員・サポーターになった覚えはないのに投票用紙が送られてきたという苦情が相当数に上るとの新聞報道もある。名義借りなど簡単にできるような杜撰でいい加減なシステムである。
昨年の8月30日に第45回衆議院議員選挙(総選挙)が実施され,あろうことか民主党が308議席も確保し,政権交代となった。僕はこのブログで,慚愧にたえない思いをぶちまけた。あれからもう1年が経つのである。その後ほどなくして,自由民主党の中川昭一というかけがえのない国士を失った。本当に涙がでた。民主党が政権の座についてからのこの1年,みなさんどうでしたかしら?・・・・・
「民主党 やらせてみれば この始末」(爆笑)
名句である。鳩山という人の羽毛よりも軽い言動と噴飯物の考え方,国際社会から一身に浴びた軽蔑のまなざし,みなさん覚えてますよね。小沢一郎という人は,この鳩山という人と共に,約3か月ほど前に政治とカネの問題,支持率低下,参議院選挙乗り切りのために引責的に辞任したばかりです。3か月前と何か事情が変わったでしょうか。民主党参議院議員会長の輿石東という人も,日教組及びその傘下の山梨県教職員組合を支持基盤とする組織内候補だから自ずとその反日的思想は推して知るべしだし,容貌的にはネズミですよね。昨日のニュースを見ていたら,議員会館内の一室で中央に輿石東,向かって左に小沢一郎,向かって右に鳩山由紀夫が座っておりました。こういうシーンを見せられてこの国の将来に希望が持てるでしょうか。民主党という政党は,相変わらずこういった面々が牛耳っているのです。
他方,菅直人という人は首相になって国家,国民のためになることを何かやりましたか(得意の反語的表現)?着任早々に内閣支持率がアップしたことに乗じて,宮崎の口蹄疫問題対策もそこそこに「今だ!」とばかりに参議院議員選挙の方を優先しました。円高・株安対策も後手後手です。「最小不幸社会」を目指すとして,何ら有効かつ実現可能な成長戦略もありません。何よりこの人は,松下圭一の「市民自治の憲法理論」(岩波新書)で展開された論を信奉していることからもわかるように,「プロ市民」による政治活動を積極的に展開し,徐々に国という形をなくす方向性を目指しています。これ加えて,仙石由人や枝野幸男らの学生運動時代から思考そのものが停止してしまった反日左翼が跋扈している状況も背筋が凍ります。
この1年どうでしたかしら?・・・衆愚政治に堕することがないよう,もうこの辺りで国民の一人一人が,民主党というのはどういう政党なのか,どんなメンバー(セクト)で構成されているのか,どんな力学で動いているのか,どんな政策を実行しようとしているのか,民主党が推進する政策を実現していくと国や家族,地域社会がどんな形になるのか,などを真剣に勉強すべき時期に来ているのではないでしょうか。
それにしても,あっという間の1年でした。昨年の総選挙ショックからもう1年が経ってしまいました。本当に月日が経つのは早いものです。今日はもうこの辺で仕事に戻ることにします(笑)。
僕が心からその音楽を愛するヨハン・セバスティアン・バッハの教会カンタータの中に「目覚めよと呼ぶ声あり」(別名「目を覚ませと呼ぶ声あり」)というのがある(第140番)。バッハの教会カンタータの中でも最も有名な曲の一つであり,とても佳い曲である。今朝は,朝ご飯の時にこの曲をしんみりと聴いてきた。
政治の世界では,民主党代表選に小沢元幹事長が出馬することを決めたようだ。もはや日本の政治も絶望的な状況になっている。誤解のないように言うが,小沢元幹事長が勝った後のことを悲観しているのではない。菅首相が勝ったとしても,どちらにしても,民主党という国家観なき,綱領なき,定見なき存在が政権を担っている限り,日本という国の将来は危うい。
それにしても鳩山元首相の顔や存在は,国民にとってはトラウマになっていたはずなのに,最近ではやたらメディアに露出している。恐らくこの人には,恥ずべきことを恥じるというメンタリティー,そもそも「恥ずかしい」という心情そのものがないのではないか。あれほど無知・無能ぶりを満天下にさらしたのなら,普通ならば穴があったら入りたいと思うべきなのに,再び脚光を浴びるべくできもしない「仲介役」をかって出ている。挙げ句,つい先頃までは菅首相続投を支えると述べておきながら,その舌の根も乾かないうちに,今度は自分の一存で旧自由党から小沢氏を民主党に招き入れたのだから,小沢氏を支持するのが「大義」だと述べた。もはやこの鳩山という人にはつける薬がない。この程度の理由が「大義」になってしまうのだと(笑)。それにわずか3か月ほど前,この2人は政治とカネの問題,支持率低下,参議院選挙乗り切りのため,揃って首相(代表)と幹事長を辞任したんじゃなかったのか。3か月ほど前と今とでは一体全体どんな事情の変更があったというのだろうか。引責的に揃って辞めた連中が,格別の事情の変更もないのに,今度は揃って現政権を倒そうとしているこのような行動にどんな「大義」があるというのだろうか。それと,「小沢首相?」。僕も国民の一人であるが,彼らの意識と国民の意識との間には相当に乖離があるのではないか。政権交代後の小沢という人の言動を振り返ってみて欲しい。政策調査会の廃止,陳情窓口の幹事長室一本化,140人を超える議員を引き連れての中国への卑屈な訪問,「人民解放軍野戦司令官」発言,習近平の天皇陛下引見時の不敬な発言などなど。「小沢首相」など誰が望んでいるのだ?G8のサミットに臨む各国首脳の中ではダントツの悪党面ではないか。
では菅直人という人やその取り巻きの仙石由人,枝野幸男,その他の反日左翼の連中がますます政権を牛耳ることになったらどうなるか。その行く末を思うと,背筋が凍るのである。そのことについては,また気が向いたら不満を述べてみたい(笑)。どちらにしても民主党政権ではもうだめなのだと思っている。
「目覚めよと呼ぶ声あり」
もうどうやらジャイアンツは目覚めたようだ。でも政治の世界は・・・。このような政治状況の中では,天は誰に対して「目覚めよ」と言っているのか。それは国民,有権者に対してであろう。
少しばかり仕事がたまってしまい,きのうの日曜日も事務所で仕事となってしまった。自宅から歩いて事務所に向かう途中,春には見事な花を咲かせる,ある小学校の桜の木のそばを通りかかった。僕は木の前で立ち止まり,蝉はどうしているかその姿を探した。
よーく見ると,蝉が何本かの木に止まっていたが,それらの蝉はもう鳴いておらず,じっとして動かないか,少し動いても今にも木から落ちそうで,全く力のない動きをしていた。この世に生を受け,地中で長時間を過ごし,最後の数週間で思い残すことはないほど力一杯鳴き,その最期を迎えようとしているのであろう。何かしら厳粛な雰囲気がそれらの蝉を支配しており,蝉からは「今日という日はもう二度と還ってはこない。悔いのないように過ごせ。」とでも言われているような気がした。晩夏である。田舎の高原では赤とんぼが飛び交っているのだろうか。
先日テレビを見ていたら,軽井沢かどこかで,鳩山由紀夫,小沢一郎,輿石東,山岡賢次などといった面々が集まって乾杯し,何やら気勢を上げていた。9月の民主党代表選で小沢一郎という人の出馬が取りざたされており,茶坊主のような顔の山岡という人が小沢という人の出馬に向けて積極的に動いているらしい。あれほどまでに首相としての資質・能力の無さを満天下にさらした鳩山という人らとの連携も目指しているようだ。小沢氏が代表になったら,彼が首相になるということなんですか?国民が本当にそれを望んでいると思っているのだろうか。彼が鳩山氏と同時に引責的に代表を辞任した時と現在とで,状況的に何が変わったというのだろうか。一方,菅直人という首相は,これはこれで本来の仕事そっちのけで代表選ばかりを心配している。この人は首相に就任以来,この国のために一体全体どんな仕事をしたというのだろうか。百害あって一利なしの「談話」を出したことだけが記憶に残っている。
こういう人たちは,党内の権力闘争のみに血道を上げ,国家や国民の現在及び将来のことは何も考えていない。国家観も将来のビジョンも全くない。民主党など唾棄すべき存在ではなかろうか。こういった政治状況は,晩夏というか,政治の閉塞というか,日本沈没というか,何とも言いようのない段階に来ている。最終的には,日本の良き伝統,文化を堅持すべく,国民一人一人がよく勉強をして,よく考えて,本当の意味での選良を生み出すしかない。
今どき,外を出歩くときは日傘を差している。毎度くどいようだが,日傘は本当に助かる。何でみんなはあんなに良い物を利用しないのだろうか。あー,それにしても今年は秋に旬をむかえるサンマが不漁のようだ。どうやら海水温の上昇が原因らしい。秋のサンマは毎年楽しみにしているのに・・・。一尾580円で売られているとの情報もある。それは高すぎるよ(苦笑)。
「いじめとは何か-教室の問題、社会の問題」(森田洋司著,中公新書)という本を読んだ。意識的にこの本を買おうとして本屋を訪れたのではなく,別のお目当ての本を買った際,たまたま新刊のコーナーにこの本が置いてあったので,これも買ってしまったのだ。何となくこの本に指が伸びたのは,「いじめ」という卑怯を憎む心があったからかもしれない。
この本の著者は,学者らしく諸外国におけるものも含めた学術的な研究の成果を比較的分かりやすく説明してくれていた。いじめ問題の研究には,社会学的な考察が不可欠であるということもよくわかった。いじめの社会的背景の一つに,社会の「私事化」があると指摘されている。「私事化」とは,人間関係のしがらみに振り回され,他人が私事に土足で踏み込んでくる煩わしさから逃れようとする動きであり,自分を犠牲にしてまで企業や集団に尽くすことはほどほどにし,私生活の隅々まで丸ごと呑み込まれることがないように人間関係や組織に対して適度な距離を置きつつ,自分の私的な領域(ワタクシゴトの世界)を確保したいという欲求の現れである(同書147~148頁)。しかしこの「私事化」にはネガティブな側面もあり,人々は私生活への関心を高める一方で社会や集団への関わりを弱め,公共性や他者に対して無関心になる傾向,さらには私益が突出して公益が軽視される傾向が強まるのである(同書150頁)。大人の社会がこうならば,その縮図である子供の社会でもこうなる傾向は否定できないであろう。
そこでこの筆者は,いじめ問題の解決の一つの要素として,「私事化のポジティブな側面を最大化しつつ,共同性に開かれた個人を育成することによってネガティブな側面を最小化し,日本社会を成熟させていくことである。」(同書155頁)とし,さらに,「家庭でのコミュニケーションの問題だけでなく,いじめが人間として許せない行為であるという倫理観の欠如が見られ,家庭教育に問題があるといわざるをえない。社会的な責任倫理の醸成が,家庭教育のなかでも,また,社会全体としても必要なときに来ている。」(同書106~107頁)と指摘する。
そうなのだ。僕もそう思うよ。ただ僕が残念だったのは,最後の指摘,特に「社会的な責任倫理の醸成」の具体的方策についてもっともっと深く言及して欲しかった。時の為政者に対して説得力ある具体論を献策して欲しかった。
卑怯にも複数の人間が一人の弱い子をいじめているのを目の当たりにして,「あぁ,かわいそうだな。」,「(あの子)つらいだろうな。」,「自分がそういう立場になったらいやだな。」,「何とかしてあげたいな。」,「いじめるなんて,卑怯だな。」という感情をもつことを共感力というのであろう。あるいは卑怯を憎む心というのであろう。これなのだ。どの人にも要求されるのは。共感力,卑怯を憎む心を醸成するためには,やはり小・中学校における道徳教育の充実は欠かせないのだ。本当は現在の家庭教育が一番大切なのだが,将来十分な家庭教育を施すことのできる将来の親は現在の小・中学生なのだから,彼らに対する道徳教育が重要なのだと思う。日教組が反対しようが何しようが,この分野の充実が求められている。会津藩の「什の掟」のうち,「四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ」と「五、弱い者をいぢめてはなりませぬ」という規範はいじめ問題にあっては特に重要である。理屈抜きである。「什の掟」の最後にあるように「ならぬことはならぬものです」。
宮崎の口蹄疫問題は猖獗を極めたが,幸いにしてようやく非常事態宣言が解除された。民主党政権の極めて杜撰な初期対応には本当に呆れかえるが,とにかく非常事態宣言が解除され本当によかったと思う。
それにしても,この問題で現地に派遣された自衛隊員の奮闘,努力,甚大な貢献ぶりをマスコミはなぜ大きくは報道しないのであろうか。法律上獣医師にしかできない殺処分以外の作業は,彼ら自衛隊員はほぼ全てをやってくれたのだ。埋却用の穴掘り,死んだ家畜の運搬,処分場への家畜の追い込みなどである。休憩や食事なども農場内で防護服を着たままだったそうだ。本来の迷彩服の上に防護服である。この炎天下である。その暑さは想像を絶するであろう。そして土砂降りの中でも黙々と作業に従事した。本当に頭の下がる思いである。感謝である。
自衛隊員の献身的な作業振りは,阪神・淡路大震災の際も語り継がれているし,平成19年の新潟県中越沖地震の際の自衛隊の奮闘努力もすごかった。その撤収式における模様はユーチューブなどにアップされているが,その地元民からの感謝の言葉を聞くにつけても感動的なものがある。どうしてマスコミはそのような報道に消極的なのであろうか。もっと素直に感謝の気持ちを表し,彼らには絶えず高いモチベーションと世界に誇る練度の高さを維持してもらいたいのである。
もっと言いたいことは山ほどあるが,今日はこれから出かけなければならないのでこれくらいにしておく(笑)。
今日も初老の男性が独りごちることにします。自分だって人の顔をとやかく言えないことはよく自覚しているが,少なくとも選良と言われている人やテレビによく映る人については,めやすき人がよい。
昨日,民主党の両院議員総会が開かれたが,その場に映った輿石東という同党参議院議員会長の顔ときたら,とても選良とは思えないし,こういう人に政治を託しているこの日本及び日本人の行く末に大いなる不安を抱かせる。見ればわかる。この人は日の丸・君が代大反対の日教組のドンと言われており,その選挙区は山教祖の組織ぐるみの選挙活動でつとに有名である。この輿石という人もかつては教員だったのだろうが,その顔のような教育を行ってきたのだろうか。
その両院議員総会には民主党の実力者小沢一郎という人は案の定出席していなかった。9月の同党代表選挙でこの小沢という人がどのような行動に出るかが焦点になっている。一人の実力者の一挙手一投足に戦々恐々としている議員で構成されているこの民主党という政党は,一体いかなる政党なのであろうか。この小沢一郎という人の顔も,とても選良とは思えないし,こういう人に政治を託しているこの日本及び日本人の行く末に大いなる不安を抱かせる。このブログを読んでいただいている皆さんにも既にご案内のとおりである。
人のことは言えない顔のことはこの程度にして,民主党は,このたびの参議院議員選挙の敗因については,菅首相の消費税増税発言が国民に唐突な印象を与えたことなどだと分析しているが,はっきり言って分かっていないと思う。今の日本の財政状況,諸外国における税率などからして,国民の過半は消費税の増税はやむを得ないと考えているのである。このたびの選挙で民主党に厳しい結果が出たのは,自由民主党に回帰するのもはばかられるが,民主党という政権を勝たせすぎるととんでもないことになるという危機感が有権者にはあったのだと思う。昨年9月に鳩山政権が誕生した後の迷走振りを見れば一目瞭然である。旧社会党系が相変わらず幅を利かせ,日教組や自治労などに依存し,財源の目処もたたないのに俗耳に入りやすくできもしない約束をし,現在の安全保障上は不可欠となっている同盟の相手方を徹底的に困惑させてきた。有権者もこういう状況に危機感を抱いたのではないかと思う。でもだからといって,みんなの党に票を入れるなどという投票行動は全く解せない。みんなの党に一票を入れた人は,この党がどんな日本を目指し,そのために当面は具体的にどのような政策を実行しようとしているのか,この政党がどんな国家観をもっているのかについて理解をしていたのだろうか。
初老の男性が独りごちることにします。最近のCMは余り好感のもてないものが多い。古い人間だからかもしれないが,昔のCMの方が結構面白く,癒されたり,もう一度見てみたいというものが多かったように思う。最近のものはやたら音量がデカかったり,画面切り替えのテンポが速かったり,日本語が乱れていたり・・・。
その中でも以前から何となく違和感を覚えていたのが,さる携帯電話会社の白い犬が父親役のCMである。このCMが流れると不愉快になり瞬間的にチャンネルを変えてしまう。お前それは考えすぎだろうと言われるかもしれないが,愛すべき,そして今後もその文明,文化を守っていくべき日本という国,日本人が何かしら暗に否定されているようなニュアンスを感じ取ってしまうのである。この白い犬が父親役をやっているこの「家族」は,設定上は日本の家族というものであろうから。
父親が犬で,その家族から何か軽視,揶揄され,ひいては日本の家族というものを内側から溶解させたいかのような漠然とした意図を感じるのである。さらに最近ではこのCMは,この白い犬の名を「白戸次郎」としている。終戦後,その果たした役割や数々の言動などで,気骨ある日本人として知る人ぞ知る白洲次郎の名をもじったのではないかと疑ってみたくもなるのである。非常に不愉快である。
さらにこの携帯電話会社のCMの最新のバージョンを昨日の夜テレビで見せられてしまった。ボケーッとテレビを見ていたら,偶然に目に入ってきてしまったのである。そのバージョンでは,SMAPが屋台のラーメンを食べながら会話をしているのだが,そのセリフの中に,不正確な再現で申し訳ないが,国境という枠なんかそのうち何の意味もなくなる,国境などなくなるという趣旨のセリフが出て来たのである。国境がなくなるということは,日本という国がなくなるということでしょうか。どこかの国の「自治区」などに成り下がってしまうということでしょうか。ますますこの会社のCMに対する不信感が高まってしまった。
ぜんまいざむらいのキャラクター,例えば,ぜん様,豆丸,だんごやおばば,ずきんちゃん,なめざえもん,かみちよねーさん,わたあめひめなどは,NHKの専属なのだろうか。もし許されて彼らが民放のコマーシャルに登場するようなことがあれば,絶対にウケると思うのだが(笑)。
金賢姫元北朝鮮工作員は23日の午後に韓国へ帰って行った。民主党政権は,一体全体,いかなる目的でこのたびの金賢姫という人の来日計画を立てたのだろうか。拉致被害者の家族との面談はしたけれど,何か拉致被害者の救出に結びつくような直接,間接の新情報が得られたということもないようだ。実は今回の行事にはとても違和感を覚えている。大韓航空機爆破事件による被害者は115人に及ぶ。非常に痛ましい大事件である。このような重大な結果を引き起こした金賢姫という人間が,あたかも国賓のような待遇を受けている様子を見るにつけ,どうしても違和感を禁じ得ないのである。
多額の国費を使って,挙げ句に遊覧飛行的な時間まで確保してやって,何の成果があったというのだろうか。しかもその滞在先が何故鳩山元首相の軽井沢の別荘なのだろうか。この鳩山という人は,首相を辞する時には次期衆議院議員選挙には出馬しないと明言していたが,最近ではそれを簡単に撤回するかのような言動までしており,相変わらずその言葉は軽く,定見がない。今回の行事で別荘を提供し,その存在感を見せたかったのだろう。
民主党政権は本気で拉致問題に取り組もうとしてはいないと思う。というのも,安倍晋三内閣の時のこの問題に対する基本方針と,さる6月に示された菅政権下でのこの問題に対する基本方針とでは相当に違いがあり,明らかに後退してしまっているからである。また,あるネットの情報によれば,金賢姫元北朝鮮工作員が晩餐会に臨んだ帝国ホテルに,政府認定拉致被害者以外の拉致被害者を調査している「特定失踪者調査会」の荒木和博会長が特定失踪者の写真を持って同ホテルを訪れ,政府関係者に対し,金賢姫元北朝鮮工作員にこれらの写真を見てもらって見覚えのある人がいないかどうかを確認してもらう機会を与えて欲しいと申し入れたそうだ。しかしながら,拉致担当大臣の中井という人は,言を左右にしてこれに応じず,荒木会長を約1時間も待たせた挙げ句,結局そのような写真確認の機会を与えなかったという。荒木会長の申し出は極めて当然のことであり,これを認めなかった中井という大臣は本当に拉致問題を解決しようという覚悟があるのだろうか。そのような覚悟はないと思う。この中井という大臣は赤坂議員宿舎のカードキーを妙齢の女性に渡して出入りさせていたというニュースで世間を騒がせたことはあっても,拉致問題でそれらしい仕事をしたという情報は寡聞にして知らない。
民主党政権が企画したこのたびの行事は,国民向けに拉致問題も忘れてはいませんよというポーズをとろうとしただけの浮薄な動機に基づくものだろう。