いわゆる事業仕分けという作業がテレビで公開されていた。ネットでも視聴が可能だったようだ。確かに,高級官僚の天下りや「渡り」の受け皿となっている訳の分からない独立行政法人の,大して意味もない事業に血税がつぎ込まれるようなことがあってはならない。私達の血税は有効かつ適切に生かされるべきだ。
・・・・・・だが,しかし・・・その事業仕分けの状況を見ていたら,絶えず説明や発言を遮られ,矢継ぎ早の紋切り型の質問責めに遭い,時間的に急かされ,初めに結論ありきの異様な雰囲気の中での無力感に苛まれている状況に陥っているのが,あたかも自分であるかのような感じがして,見るに堪えなかった。
新聞報道によれば,この事業仕分けそのものやこれが公開されたことについて,約7割くらいの国民が積極的に評価しているようである。無駄な税金の使われ方が抑制されること自体は僕も評価するが,あの公開された状況を見て,かなりの割合の国民が本当に快哉を叫んでいるのかは疑問である。何より,あの民間から選ばれた仕分け人の資質や能力に疑問がある。的外れな質問を平気でしていたし,何よりも人の説明を聞こうとする姿勢に欠け,初めに結論ありきのスタンスが露骨に現れている者もいた。また,取り仕切っていた議員自体も,防衛省関連の施設と東京ディズニーランドを同一の目線で比較するなどといった,これまた的外れな認識を示していた。一説によると,彼らは各事業ごとの専門知識がある訳ではないから,財務省が予めマニュアル様のものを作成して用意し,それには質問やチェック項目,想定される問答(各担当者がこう説明したらこう切り返せばよいなどといったもの)などが記載されていたらしい。僕は,民主党としては,財務省の主計官がやっていたことを公開の場で議員や民間人仕分け人にやらせ,国民にアピールしたかったのではないかと穿った見方もしてしまう。あれは一種の政治ショーだ。
いずれにしても,あの殺気だった仕分け現場における雰囲気は,文化大革命において毛沢東語録を振りかざし,反動分子を打ち据え,自己批判を求めている紅衛兵を連想してしまった。ジェット式姿勢をとらされなかっただけ,まだましか(笑)。
この事業仕分けは,前にも述べたように良い面もあるが,問題もかなりある。ノーベル化学賞を受賞された野依教授は「歴史の法廷に立つ覚悟があるのか。」と正論を述べられたし,旧7帝国大学や早稲田,慶應義塾の総長,学長が記者会見したように,科学技術や学問研究は,目先の効果だけを性急に追求するのではなく,中長期的な観点も必要である。資源のない日本は,人材や研究こそがその存立基盤ともいえる。民主党がやみくもに事業仕分けを断行するのは,結局は,マニフェストで約束した「子ども手当」などの財源確保の必要性からであろう。マニフェスト至上主義というやつである。経済学者竹中平蔵氏の論調はあまり好きではないが,彼は,いま民主党がやっていることは,小さな無駄を削って,より大きな無駄を作ろうとしているという趣旨のことを言っていた。たまにはいいことをいうなあと思った(笑)。返す返すも,あの殺伐とした,事業仕分けを支配した雰囲気は,日本人のメンタリティーとはちょっと違うような気がする。
例えば,ある物が修理に出され,それを職人その他の専門業者が修理を完成したとする。その修理代金が支払われない場合には,その修理代金がちゃんと支払われるまでの間,ちゃんと修理した職人さん達はその修理した物の引き渡しを拒むことができる。こういう権利を留置権という。これは民事でも商事でも認められている。
でもね,負傷者や病人が不幸にして亡くなった時,そのご遺体と治療費の関係は,さきほど挙げた例とは全く違うと思う。さきごろ,韓国の釜山の射撃場火災で悲惨な死亡事故が起こった。不幸に見舞われた被害者やご遺族の方々には,心からご冥福とお見舞いを申し上げる。ところが,新聞報道によると,治療等に当たった韓国釜山の病院は,何と,治療費約1000万円の支払を公的機関が保証することを遺体引き渡しの条件にしたという。結局,被害者の故郷,雲仙市は,何よりも遺体の早期引き渡しが最優先ということで,同市長の名で保証をしたとのこと。韓国釜山のその病院は,今回のツアー企画会社が入っていた損害保険で最終的には治療費の支払が確実であるのに,そのような条件を突きつけたのである。
・・・・・・・僕が思ったのは,確かに診療契約が結ばれた以上,治療費は支払われるべきである。例の射撃場を経営していた主体に対する損害賠償の問題とは別なのである。しかしながら,いかなる意味においても,治療費の支払保証を,遺体引き渡しの条件にするというのは明らかにおかしい。少なくとも,こういうことは日本では考えられない。こういうのは日本人のメンタリティーにはない。
僕としても,このブログであまり政治的なことは書きたくない。もっと楽しい話題,例えば,ぜんまいざむらいとか,新撰組とか,神のように崇めているバッハのことなんかを書きたいのだ。でも,さすがに最近の民主党,とりわけ鳩山由紀夫という人の迷走ぶり,脳天気ぶりを見ていると,話題にせざるを得ない。僕も国を憂えざるを得ないのだ・・・。
それにしても,一体全体,この鳩山由紀夫という人の頭の中はどうなってしまっているのだろうか。きっと凄いことになっているのではないだろうか。米軍普天間基地移設問題をめぐるこの人の言動は,もはや首相としては常軌を逸している。
オバマ大統領が来日した際の日米首脳会談で,同大統領が早期の履行を求めたのに対し,鳩山首相は「Please trust me(どうか私を信じてほしい)」と述べ,同大統領は「Absolutely, I trust you(もちろん,あなたを信じますよ)」と答えたということだ。この米軍普天間基地移設問題の重要性は大統領来日前からアメリカの高官から強調されていたのであり,首脳会談で鳩山首相が特に異議を留保することもなく,このようなやり取りがなされれば,アメリカとしては,設置が合意された閣僚級作業グループでの協議内容が従前の日米合意の早期履行が前提となると信頼するのは当然である。ところが,大統領を日本においたままAPEC首脳会議のためにシンガポールに出かけてしまった鳩山首相は(このこと自体外交儀礼に反すると思うが),あろうことか,「オバマ大統領とすれば,日米合意を前提と思っていただろうが,それが前提なら作業グループを作る必要がない。」と明言したのである。それだったら,その旨を堂々と首脳会談の時に明言しろよ。基軸となるべき同盟国に明らかな不信感を抱かせるような,手のひらを返すようなこの鳩山発言に,民主党の長島昭久防衛政務官ですら「オバマ大統領が『今の日米合意を迅速に実行する』と言ったにもかかわらず,首相が(打ち消すような)話をして正直びっくりした。」とテレビで戸惑うといった始末である。
この基地移設問題の最終決断時期についても,鳩山発言はブレにブレている。10月16日には名護市長選(平成22年1月)と県知事選(同年11月)の間くらいには決断すると明言したのに,その1週間後(10月23日)には,名護市長選の後でと言っているつもりはない,早く結論がでればそれに越したことはない,と前言を事実上翻している。ところが,オバマ大統領との首脳会談の直後,鳩山首相は今度は,「名護市長選にしたがって方向性を見定めてゆくこともある。市長選が全く念頭にないというわけではない。」と発言しているのである。ここまでくると,アメリカは,あきれかえっているのではないだろうか。
どうやら,鳩山首相が何かにつけて名護市長選や知事選に言及するということは,自分自身で高度に政治的な問題に対する判断力,決断力を欠いているものだから,市長選などの選挙結果をバックボーン,力にしてアメリカと再交渉ができればなどといった魂胆なのではないかと穿ってみたりもする。でも,これまで約14年もかけて日米でこの問題を協議し,両国でこれが最良の方法だと合意し,名護市も最終的には苦渋の選択をしたのである。国防というのは同盟国との信頼関係を維持しながら,最終的には国自体が判断しなければならない問題である。この点をめぐる鳩山首相の言動は,その一方で「日米同盟を外交の基軸と位置づけている」との言葉とは裏腹に,明らかに同盟の相手方の不信を買い,国益を損ねている。
鳩山由紀夫という人は,この防衛,安全保障の問題だけでなく,その他のマターでも言うことがコロコロ変わる。変節といってもいい。それは結局,定見がないからである。これに尽きる。奥さんと一緒にファッションショーに登場したり,政府専用機の中で奥さんと指相撲に興じている場合ではない。一国の宰相に定見がないというのは,非常に深刻な事態である。
新聞報道によると,10月23日の閣僚懇談会で,岡田外相が宮内庁に対し,国会開会式の天皇陛下のお言葉に関し,「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただける工夫を考えてほしい」などと申し入れたようだ。耳を疑ったし,違和感を覚え,その直後に怒りの気持ちがわいた。その後の釈明内容を聞いても,岡田外相のこの発言の真意が奈辺にあるのかはかりかねるし,この際は「お言葉」の憲法上の位置づけという理屈は置いておくとしても,少なくともこの発言と申し入れは,現象面としては,陛下にもう少し思いの入ったお言葉を下さい,と要求しているに等しい。極めて不遜である。
外相というのはその固有の所管事務がある。分際という言葉は,身のほど,それぞれに応じた程度という意味であり,分(ぶん)とは,各人にわけ与えられた身分や責任というほどの意味である。外相の分際というものがあり,岡田外相も分をわきまえなければならないと思う。
様々な情報によると,この岡田外相という人は,かつていろいろな場面で次のような発言をしているようである。
「『国歌君が代』は民主主義にふさわしくないので違和感を感じる。民主主義国家にふさわしい国歌があっていいんじゃないか」
「参政権がほしいなら国籍を取れということは、人権にかかわる」
「将来の理想は日中韓共通の教科書を作ることだ」
岡田外相のかつての変な発言は,実はこれだけに限らず枚挙にいとまがない。もう今日も今日とて僕の本来の仕事があり,ブログ作成にこれ以上時間はかけられないので,彼のこれらの発言内容の幼稚さ,自家撞着性について詳論しないが,実におかしい。変である。同じ外相でも陸奥宗光外相,小村寿太郎外相とは雲泥の差である。岡田外相ではとうてい日本の国益は守れないであろう。つい最近も,いわゆる「東アジア共同体」の枠組みについてアメリカは入らないと明言し,すぐさま鳩山首相がその内容を事実上打ち消すという事態が発生している(彼ら自身もそのいわんとする「東アジア共同体」がどういうものなのか分かっていないし,深く考えていないのだから,しょうがないか【笑】・・・)。
いずれにしても,有権者は自由民主党にお灸をすえるために,民主党に308議席も与え,こういう人たちを国のトップ,重要閣僚にいただいたのだが,その有権者自身が今度はお灸をすえられることになると思う。・・・・・でもね,自由民主党がこのままでいい訳は絶対無いよ。同党の中にも十分に変な人たちが含まれているからね。そこに悩みの深さがある。平沼赳夫先生たちに是非がんばって欲しいのだけど。
やりました!我が栄光の巨人軍。前夜の悔しさを晴らす1勝です。これでアドバンテージ分を含めて2勝1敗です。問題は今晩であります。2勝2敗とされてしまうのと,3勝1敗と王手をかけるのとでは大違いだからです。頼むよー,ラミちゃん。ガッツ。慎之助・・・。
さて,ある日の昼下がり,ビルの管理会社の担当者がうちの事務所を訪れ,国土交通省作成のパンフレットを1枚置いて行った。うちの事務員さんが応対したのだけど,そのパンフレットのタイトルには「自転車と歩行者の走行空間を分離する社会実験をおこないます」とある。「社会実験」とは,これまた大上段に構えたタイトルだが,僕としては非常に期待のもてる実験であると思う。なぜならば,この実験の背景にあるのは,そのパンフレットで指摘されているとおり,歩行者と自転車が錯綜しているため,(歩道の)利用者が危険を感じる状況が発生しており,利用者からは歩行者と自転車を分離することを望む声があがっているからだ。
僕も常日頃からそのように思っていた。というのも,通勤や裁判所行きには徒歩で行くことが多いのだけれど,1日に少なくとも5,6回は,極めてマナーの悪い,危険な自転車走行に不愉快になることが多いからである。つい先日も,歩道上で信号待ちをして立っていたら,僕のすぐ近くにいた人との間を全く徐行もせずに縫うようにして走行していった輩がいた。非常に危険であり,とても不測の事態に対応できるような走行方法ではない。また,歩行者が多数いるというのに,自転車を駆って猛スピードで歩道上を走行していく手合いもいる。信号の変わり目などでは,とにかくその交差点を渡りきろうとして全く周りに注意を払わない不心得者もいる。このような無秩序状態だから,最近の僕は歩行経路を変えるにもいちいち後方を確認するようにしている。
ある晩,顧問先の社長さんたちと夕食を共にした時などは,やはり皆さん同じようなことを痛感しておられたようだ。自転車に乗る者が「江戸しぐさ」のようにみんなができるだけ気持ちよく通行できるように気を配ったり,少なくともこんな走行をしていたら歩行者に恐怖感を与えてしまうだろうなと想像したりすることでできないようであれば,もはや物理的な工作,すなわち時速30キロメートル以上は出せないような構造にすべきだなどと議論していたのである。
統計では,この10年間のうちに自転車と歩行者との交通事故の数が約4.5倍になっているそうだ。道路交通法上は,自転車は車道を走行するのが原則になっているし,歩道上は歩行者が優先であり,自転車は車道寄りを「徐行」することになっている。しかし,現実はそうではない。件のパンフレットによると,今回の「社会実験」は,うちの事務所のあるビルの面したすごく広い道路の車道1車線を削り,車道上のバリケードなどを設置して車と自転車とを分離し,さらに,歩行者の歩道と自転車の通行帯をも分離し,歩行者が安心して歩行できるような空間を確保するというもののようだ。よいと思うし,ビルの前の道だけでなく,できるだけそのような措置を講じてもらいたいものである。・・・・・・・・決して自転車そのものが悪い訳ではない。・・・・・・・でも,マナーの悪い人が少なからずいるし,概してスピードの出し過ぎなのである。
朝,歩いての通勤はよいものだ。特に秋の澄み切った空,清々しい空気を吸いながらの散歩通勤は格別によい。毎朝の通勤経路は,その日の気分任せ。今日は少し細い路地裏のような所を通ってきたが,鳩が1匹,すずめが5,6匹,仲良く路上で何かをついばんでいた。僕はできるだけ彼らをびっくりさせまいと静かにそばを通り過ぎようとしたが,やはり小さなすずめ達は飛び立って逃げた。でも,鳩はほんの少し移動しただけでそのまま自分のペースを崩さなかった。鳩というのは,人なつっこくて,憎めない。
でも,わが日本国の首相をやっている鳩山由紀夫という人は,はっきり言っていかがなものかと思う。例の偽装献金問題にしても,大方の国民は首相の説明責任は果たされていないと思っているのに,捜査に影響を与えるなどといった口実で,以前の記者会見での発言以上の説明を果たそうともしない。その政治資金管理団体が,故人や献金もしていない人の名前を勝手に使ったりした。それを秘書が勝手にやったということで幕引きをしようとしている。かつて鳩山氏は,他の人の同種のスキャンダルの際には,秘書の責任は議員の責任であると明確に述べていたにもかかわらず・・・。定見がない。この問題が発覚した後,問題の収支報告書の献金者名が訂正されたが,その訂正された献金者名の一部も再び虚偽であったことが取りざたされている。さすがに,問題発覚後の訂正部分まで鳩山氏が全くあずかり知らなかったという言い訳は通用しないだろう。それに,5万円以下のいわゆる匿名献金についても,その中に仮に親族等からの「献金」分が含まれたりしていたら,実質的には贈与であり税法上の問題も出てくる。
また,鳩山氏は,外遊に当たって諸外国の歓心をかうかのように,未だ国民的な議論が尽くされていないにもかかわらず,しかも国会での所信表明もしていないにもかかわらず,対外的には半ば国際公約をして回っている。「東アジア共同体」,「永住外国人の地方参政権付与問題」,「温室効果ガス25%削減」などである。このうちの,例えば「東アジア共同体」について,触れ回っている当の鳩山氏自身も,その具体的内容はどのようなものなのか,どのようなステップで実現するのかなどについてつっこんだ質問を受けても明確に答えられないに違いない。現に,読売新聞の報道によると,この「東アジア共同体」の枠内にアメリカが入るのかどうかについて,岡田外相は「入らない」と明言しているのに対し,鳩山首相は「入る可能性を否定しない」としている。閣内で言っていることが違うのである。この問題に限らず,日米同盟の相手方であるアメリカは鳩山首相率いる日本政府への警戒感を隠さないようになっている。外交というのは,一度信頼感を喪失してしまったら取り返しのつかないことになる。さらに,鳩山氏は,永住外国人への地方参政権付与がなされるべきだとの認識を示し,その際に「日本列島は日本人だけの所有物ではない」とまで述べている。
鳩山氏本人は,赤っぽいジャケットか何かを着て,そのご婦人と共にファッションショーに特別出演していたりする。この大切な日本国の舵取りをするために,もっと他にやることがあるのに・・・。朝の通勤の時に出会った鳩は好きだが,この首相の場合は,どうも・・・。
中川昭一元衆議院議員の訃報に接した時は,自然に涙が出そうになった。別に面識があった訳ではないが,本当に期待していた政治家だったのである。今回の総選挙では議席は失ったが,まだ56歳だったのだからこれからあと10数年は活躍できたのに。
それは確かにG7でのいわゆるもうろう会見はいただけなかったが,この元代議士は,非常に勉強熱心,読書家で,考え方もきわめて真っ当な人だったと思うし,国士だったと思う。あぁ,何やら虚脱感があるし,例えようもない喪失感がある。今の自由民主党に所属している面々を見渡しても,同党の立党の精神を本当の意味で肝に銘じている人が果たしてどれだけいるのか。新総裁にああいった人を選ぶような党なのだから,もう立党の精神とアイデンティティが失われているのではないか。特に政権維持が自己目的化してしまった自社さ政権発足以降はこの傾向が顕著である。
もう自由民主党という名前にはこだわらず,平沼赳夫,安部晋三らが中心になって本当の意味で真っ当な政権の受け皿になる勢力を結集すべきなのではないか。あぁ,本当に惜しい政治家を失ったと思う。
昨日は夕方の6時半まで「マタイ受難曲」の合唱練習だった。練習会場からは歩いて帰ったが,その途中で眺めた月の本当に見事だったこと。そういえばその前日である土曜日の夜に眺めた月もとても見事だった。ここ数日は休肝日をもうけようとしてお酒は飲んでいなかったが,このような見事な月を眺めていて,そして国士を失った悲しい気持ちで,やはりお酒が飲みたくなった。そして,飲んだ。
大久保「やー,久しぶりだな西郷」
西 郷「おう。ちょっとの間,腰の痛みと背中のハリがあってな,少し酒を控えてたんだ。でも,美味しい季節になったんで,お前を誘った・・・。」
大久保「腰とかは大丈夫か。」
西 郷「ああ。知り合いの紹介でお灸をすえてもらえる治療院に行った。お灸というのは結構効くぞ。」
大久保「そうか,それは良かった。そろそろ,おでんも美味いしな。それにしても,ずいぶん改まった酒の誘い方しやがって,さては何かあったか?」
西 郷「別にどうということはないが,民主党政権もやりたいようにやっとるな。政治の話よ。夫婦別姓法案を来年の通常国会に提出するんだと。」
大久保「うーん。先回りするようだけど,俺は反対だ。細かい理屈は苦手だけど,伝統的な家族の一体感,きずなが失われる。」
西 郷「確かに選択的な制度だから,これまでどおり家族全員が同じ姓を名乗りたいということだったらそれは当然できる。当たり前だわな。俺ももちろんそうする。でも,現在民主党が考えている案は,夫婦別姓が選択されて夫婦が別々の姓を名乗った上で,さらにその間にできた子も,その出生ごとにどちらの姓を名乗るかを決めることができる制度のようだ。」
大久保「えーっ。どんな家庭じゃ。例えば,サザエさんの家庭だったら・・・。まず磯野波平さん夫婦の結婚当時にさかのぼっていくと,奥さんのフネさんは旧姓石田だから,別姓が選択されたら磯野波平・石田フネという夫婦が誕生。次に,今後生まれる子の出生ごとに名乗る姓が親によって決定されるとすると,例えば,石田サザエ,磯野カツオ,石田ワカメということもあり得る。さらに,石田サザエがフグ田マスオとめでたく結婚して夫婦別姓が選択され,その後にタラちゃんが生まれると,場合よっては石田タラオとなる。要するにこの家族は,3つの姓が入り乱れる。」
西 郷「タマはどうする?」
大久保「バカ。タマは猫だから,さすがの民主党案でも名字はないだろ!」
西 郷「でもなあ。産経新聞の記事によると,この夫婦別姓に関する内閣府による世論調査結果では,賛否の意見は拮抗しているというし,その5年前の同じ調査時よりは夫婦別姓反対の意見が5ポイント以上も増え,賛成が5ポイント以上も減っているようだぞ。それに,ある民間団体が平成13年に東京都内の中高生を対象に,自分の両親が別姓になったら『嫌だと思う』と答えた人が41.6%,『変な感じがする』と答えた人が24.8%で,こういう答えの人は全体の66.4%で約3分の2に達してる。新聞でも,この夫婦別姓の議論は,働く女性の利便性のみが指摘され,子どもの視点は見落とされがちになっていると総括されている。」
大久保「それでも新聞報道によると,千葉景子法務大臣と福島瑞穂少子化等担当大臣とが会談し,やはり夫婦別姓法案を来年の通常国会に提出する方針を確認し合ったということだ。」
西 郷「千葉景子という議員は筋金入りの死刑廃止論者だから,恐らくこの大臣の下では死刑執行署名がなされることはないだろうし,この点に関する刑事訴訟法の規定も骨抜きになるだろう。それに,福島瑞穂という議員は,約17年前には『生まない選択 子どもを持たない楽しさ』という本を書いている。こういう人がこともあろうに少子化担当の大臣なんて・・・。」
大久保「民主党はこれからもますますガンバルと思うぞ。永住外国人の地方参政権付与の法案提出に向けて動き出したようだし。」
西 郷「この問題こそ,今現在国民にアンケートをとったら,反対論の方が圧倒的に多いと思うぞ。マニフェスト,マニフェストとやかましくがなり立てている民主党も,この問題はどういう訳かマニフェストには記載していなかったと思う。それなのに,素早く中央突破しようとしている。それよりも公明党がこの法案を真っ先に出そうともしている。」
大久保「それと,あの『東アジア共同体』というのは一体何なのだ。どういう具体的な内容を持っているんだろう。関税障壁を完全になくすのか,自由に人が行き来できるようにしてしまうのか,通貨まで統一してしまうのか,はたまた主権の一部を委譲してしまうのか,よう分からんわ・・・。外交というのは,本当に国益と国益とのぶつかり合いだ。リアリズムを感じながら外交しないと。『友愛』だけではなぁ。交渉の相手方が微笑のかげで鎧をまとっていたりする。」
西 郷「それに国家戦略室か局かは一体どういう権限と役割をもっているんだろうか。早くも財務相は『予算編成権はあくまでも財務相にある!』なんて言って,担当大臣同士でいわば権限のさや当てみたいなことをしているし。行政刷新会議なんかもどういう権限と役割を担っているのかも分からないし・・・。民主党の議員だっていろいろなことを言っているくらいだから,よく準備されないまま,よく練られないままにスタートしてしまったというのが実情なんじゃないのか。」
大久保「ある月刊誌に面白いことが書いてあった。今度の総選挙では,自民党にお灸をすえるために多くの有権者は民主党に投票した,でも,これにより結局は有権者自身がお灸をすえられることになるとさ。ハッ,ハッ,ハッ。お前の腰と背中のお灸みたいだな。」
西 郷「とても笑えないよ。」
テレビの大食い企画はもうやめてよ・・・。この前の日曜日,夜の時間帯の3時間にわたって「元祖!大食い王決定戦」という番組が流れていた。以前にもこのブログに書いたことがあるし,自分のブログだから好き勝手に書くが,僕はこういう番組は好きではない。いや嫌いである。
見ただけで胸が悪くなるような大量の料理,空になった皿の山,苦痛に顔をゆがめ,今にも吐きそうな感じになってまで食べ続けるフード・ファイターの姿。食べる速さと量を競うのだから,食べ方などはどうでもいい状態・・・・・。この人たちのこの時の胃袋の状態はどうなっているのだろうかと,いやでも想像してしまう。胃が張り裂けんばかりになっているのだろう。見ていると,本人同意の上でのあたかも拷問のようである。
「そんなにイヤなら,見なきゃいいだろ。」と言われてしまえば,確かにそれまでではある。ちなみに,インターネットで「大食い 視聴率」とキーワードを入れて検索してみたら,その日のこの大食い企画のことに言及されており,3時間という長時間番組であったにもかかわらず,関東地区の平均視聴率が19.7%と高く,瞬間最高視聴率が28%に達したようだ。こういうデータからすると,やっぱり僕のような意見は恐らく少数意見なのだろう(泣)。
だけどね。このジジイは敢えて言う。「日本国民に告ぐ!(フィヒテ風),もう大食い企画などはやめよ!こういう番組に釘付けになるようなまねはするな!」と。飽食の時代といわれているが,もっと食べ物を大切にしよう。この瞬間にも夥しい人々が飢餓で死亡している。こんな企画のために食料を無駄にするくらいなら,食料不足の難民キャンプで炊き出しをしたらどうだ。それに,食べ物というのは,「いただきます。」といって,味わいながら,美味しいと言いながら食べるもの。苦痛に顔をゆがめながら,吐きそうになりながら食べるものではない!テレビ番組に「バラエティー」というジャンルがあるように,確かに限りある電波を独占するのであれば番組にも多種多様なものを取り入れるべきではあろう。でも余計なお世話だろうが,どうせ夜の3時間を使うなら,もっとためになる企画をして欲しい。
この大食い企画はテレビ東京系列の番組である。もともとテレビ東京系列の番組は僕は好きな方なのである。例えば,旅番組なんかはとてもイイと思うし,楽しんでいる。でも,さきほど挙げた視聴率は,テレビ東京としては今年一番の成績のようだ。おそらくは担当者や首脳陣もこれに気をよくしてますます過激なフードファイトものを企画してしまうのではないか。やはり所詮僕のような考えは少数意見なのだろう。
衆議院議員総選挙が終わった。民主党が308議席を獲得し,自由民主党が大敗を喫した。日本の政治状況もこれで1955年以来の体制が完全に崩壊した。
たかが弁護士のブログの中であまり政治的なことは書きたくないが,今日はほんの少しだけ書いてみたい。本来ならば,国民の審判が下され,新たな政権の担い手が決まった訳だから,大いなる期待と支持をすべきなのかもしれないが,残念ながらそういう気にはなれないのである。何かしら今回の選挙は,とにかく一度政権交代させてみようということが自己目的化されているようでならず,実は本当に重要なのは,その政権の担い手が今後どのような政策を実現していくのか,今後どのような法案を通していくのかという点だと思うのである。先にも述べたように,本来ならば大いなる期待と支持をすべきところ,僕の底意地の悪さが頭をもたげ,「どこまでもつかお手並み拝見だ」などといった了見なのである。正直言うとね・・・。
民主党は今回のマニフェストには記載しなかった項目で,従前から政策集には明記していた諸項目については今後どうするのであろうか。それらの諸項目の中には,実際に法案化され,連立与党により衆議院で3分の2以上の多数で再可決されてしまっては困るようなものが多く存在する。それだけはやめて欲しいというようなものが。それに俗耳に入りやすい政権公約に関する具体的財源をどう確保するのか不安はあるし,本当に必要な予算まで削られたらどうしよう。それに民主党がマニフェストに明記している「東アジア共同体」というのは一体どんなものなのだろうか,想像もできない。あぁ,それに今回の選挙を経て無数の小沢チルドレンも誕生するであろう。
まぁ,これは大きな地殻変動であるし,ときの声かもしれない。自由民主党の中の変な人を除外してまともな人だけが核になり,これに寄り合い所帯の民主党の中の極めてまっとうな人だけが集まって,政権の受け皿になり得る,ちゃんとした政党が結成されればいいなと思う(いわゆる政界再編)。それにしても静岡7区で当選した城内実氏はあっぱれであるし,こういう定見があり見識があり,根性のある代議士の誕生を望んでいる。岡山の平沼赳夫氏,福井の稲田朋美氏,岐阜の古屋圭司氏,東京の下村博文氏らも同様に期待しており,今回の当選は誠に喜ばしい。
今回の選挙結果を目の当たりにして,思わず思い浮かんだ言葉が「是非に及ばず」である。死の直前にこの言葉を述べた織田信長のように何も謀反を起こされた訳ではないが,何故かしらこの言葉が頭に浮かんだのである。