今日は些か立腹しております。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」のうち,企画「表現の不自由展・その後」をめぐる大村秀章愛知県知事の対応や発言内容を耳にしておりますと,地方自治体の行政の長としては全くもって不見識と言わざるを得ません。
河村たかし名古屋市長が大村知事に対し,「平和の少女像」(いわゆる従軍慰安婦問題の象徴的存在)などの展示の中止を求めたり,この「表現の不自由展・その後」という企画の経緯,どうしてこのような物を展示するに至ったかに関する調査を求めたことは,極めて正当だと思いますよ。これに対し大村知事は,展示中止を求めることは表現の自由を保障した憲法21条に反するとか,検閲に当たるなどとして強く反論しております。こういう人が愛知県知事を務めているのかと思うと,県民の一人として情けない限りです。
そもそも検閲というのは,「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、それらの発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること」を意味します(最高裁判例)。戦後GHQが,新聞,出版社,マスコミに対して一斉に多項目にわたって表現対象や方法を規制し,発表前に内容をチェックした上で発表を禁止等し,「閉された言論空間」を作り上げたあの状況こそが検閲に該当するのです。憲法21条(1項で表現の自由を保障,2項で検閲を禁止)の正に生みの親であるGHQこそが,当時は表現の自由を徹底的に侵害し,検閲していたという皮肉な歴史があります(笑)。今回の展示中止は,検閲禁止の適用場面などではありません。また私的に展示することに公権力は全く介入する訳ではありませんから,表現の自由は保障されているのです。
一体全体,例の「表現の不自由展・その後」でどのようなものが展示されていたのかについて,日本のマスコミは詳細に伝えているでしょうか。「平和の少女像」(いわゆる従軍慰安婦問題の象徴的存在)の他に,昭和天皇のご真影をバーナーで燃やし,その灰を足で踏みつける状況を撮影した動画,特攻隊員として戦死した英霊を冒瀆するような墓様のものなどがあり,これはどう見ても芸術作品と言えるようなものではなく,典型的なプロパガンダ(政治的宣伝)に過ぎません。しかも反日という点で共通しております。
要するに,今回の問題は,公的な機関が多額の税金等を使って,このような反日的なプロパガンダ「作品」を確信的に展示し,これを見る人の気持ちを踏みにじったことです。あのような下劣な反日的プロパガンダ「作品」は,私的に個展でも開いて同好の士に見てもらえば良いのであって,これに公権力は全く関知しません。表現の自由は保障されているのです。どうぞどうぞ,個展でおやりください。
大阪の吉村市長も,松井府知事も今回の大村知事の対応を厳しく批判しております。当然です。吉村市長などは「(大村知事は)辞職相当だ。」とまで述べておりますし,松井知事は「(大村氏の批判は)ピンぼけ」だと反批判してもおります。
私も愛知県民として重税感を覚えながらも県民税を収めております(笑)。こんなものに税金は使われたくはなく,あんな展示物を展示させた大村知事の不見識を改めて指摘したいのです。また,今回の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」については,文化庁の補助事業として採択されているのですが,「表現の不自由展・その後」の展示に関し,菅官房長官は「補助金交付の決定に当たっては事実関係を確認・精査した上で適切に対応していきたい」とコメントしておりますので,是非そうしていただきたいと思います。
新元号が発表されましたね。「令和」です。出典が万葉集というのも素晴らしいですし,このたびの世論調査でも73.7%の人がこの新元号について「好感が持てる」と回答したようです。今年の5月1日以降,新元号に慣れるのには少し時間はかかるかもしれませんが,新たに即位される新天皇の下,良い時代になればと切に願っております。
先日の産経新聞の「産経抄」によれば,実は元号というものは,存亡の危機に立たされた時期があったのです。大正,昭和という元号は旧皇室典範の規定によって定められた訳ですが,敗戦で旧皇室典範が廃止され,それ以降,昭和54年に元号法が成立するまで元号は法律的根拠がなかったのです。
この法的な不備をつく形で昭和40年代ごろから,左翼陣営を中心として「元号不要論」が湧き上がりました。現在の自由民主党の議員の中には,およそ保守とは言えないような変な人たちがいっぱい存在しもしますが,昭和54年に元号法が成立した時も自民党政権でしたし,平成11年に国旗国歌法(「国旗及び国歌に関する法律」)が成立した時も自民党政権でした。この愛すべき日本国の文化,伝統,そして国のかたちを保守していくには,私に言わせれば不完全ではあってもやはり自由民主党のような保守政党が必要なのです。
その「産経抄」の記載によれば,かつてほとんどの新聞は戦後も長く元号を主に使っていたものの,新聞の世界も左翼陣営からの波に揺さぶられ,昭和51年の元旦を期して,例の朝日新聞が何の説明もなく突如として西暦を主,元号を従として扱うようになりました。そして昭和の終わりにはほとんどの新聞が右へ(いや左へ(笑))ならえの状況になり,今も元号を主,西暦を従として表記しているのは,私も毎朝愛読している産経新聞くらいのものです(笑)。
そして,産経新聞は「ちなみに新元号になっても小紙の方針は変わらない。これは本当である。念のため。」と述べています。いいぞ!産経新聞!頑張れーっ!その調子だ。
最近,むさぼるように読破し,深く感銘を受けた本があります。「西洋の自死」(ダグラス・マレー著,町田敦夫訳,中野剛志解説,東洋経済新報社)という本です。
この本は,「移民・アイデンティティ・イスラム」という副題が付けられているように,グローバリズムという呪文のようなかけ声の下,欧州が膨大な移民を次から次に受け入れる政策を継続してきた結果として,もはや欧州(西洋)が欧州(西洋)でなくなってしまった,換言すれば,際限のない大量の移民政策によって西洋が自死してしまったという警世の書です。また,この本の冒頭には評論家中野剛志さんの解説が付せられているのですが,その標題は「日本の『自死』を予言する書」となっております。欧州の現在の悲惨な状況を見るにつけ,移民政策の強力な推進者であったあのドイツのアンゲラ・メルケルですら,「多文化共生主義」の失敗を認めているのです。
この警世の書の内容については,やはり実際に読んでみなければ判らず,そして是非実際に読んでみて欲しいと思うのですが,どんなことが書かれているのかを端的に示すものとして,この本のカバーの内側に書かれている次のような記載で概ね察することができるでしょう。
「欧州各国が、どのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか。」
「マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れへの懸念の表明が、どのようにしてタブー視されるに至ったのか。」
「エリートたちは、どのような論法で、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしてきたのか。」
この本はもちろんノンフィクションですから,正確な情報リソースに基づいて,ファクト(事実)がこれでもかこれでもかと記述されております。オランダの映画作家テオ・ファン・ゴッホのイスラム教徒による凄惨な殺害,フランスの風刺雑誌「シャルリー・エブド」社屋の襲撃・殺戮,サッカー試合中のフランス・サン=ドニのスタジアムでの自爆テロ,2015年の大晦日にケルンで発生した大勢の移民による性的暴行,強盗事件(被害女性は約1200名)などなど。
EUは,シェンゲン協定やダブリン規約などによって,国境というものを取っ払う覚悟はできていても,西洋文明というものを滅亡させる覚悟まではできていなかったはずです。この本は「欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した。」という深刻な文章で始まっています。この愛すべき日本も,決して国の形まで壊してしまうような移民政策を取るべきではなく,文化,伝統というものはしっかりと守っていく覚悟が必要だと思うのです。今生きている日本人こそが主人公なのだから闇雲にどんどん「革新」していけば良いというのではなく,長い歴史の中で祖先が守り抜いてきた国柄,文化,伝統というものは将来の日本人の為にも守っていくべきで,今生きている日本人だけでどうこうできるものではないのです。要するに,水平的な思考ではなく,垂直的な思考も大切です。この本の記述の中で腑に落ちる内容は随所にあるのですが,「保守思想の父」といわれるエドマンド・バークの次の言葉の引用は,腑に落ちました。
「それとは別種の正義への訴えが、より保守的な考えを持つ人々から出されてもよかった。そうした人々は、たとえば18世紀の政治家エドマンド・バークと同様の見解を持っている可能性がある。保守主義者のバークは次のように洞察した。文化や社会というものは、たまたま今そこにいる人々の便のためにではなく、死者と生者とこれから生まれてくる者たちが結ぶ大切な契約のために働くものだと。そうした社会観においては、尽きることなく供給される安価な労働力や、多様な料理、特定の世代の良心を慰謝することなどを通じて人々がどれほど大きな恩恵を得たいと望んでも、その社会を根底から変えてしまう権利までは持ちえない。なぜなら自分たちが受け継いだ良いものは、次に引き渡すべきものでもあるからだ。仮に祖先の考え方やライフスタイルの一部は改善可能だという結論に達するとしても、だからといって次の世代に混沌とし、粉砕され、見分けもつかないようになった社会を渡すべきだということにはならない。」(同書450~451頁)
本当に,千葉県野田市の小4女児死亡事件の報道内容に接しておりますと,涙が出てきますね。被害者の栗原心愛(みあ)さんは,学校のアンケートで「先生、どうにかできませんか。」と書いて心からの助けを求めていたではありませんか。可哀想で可哀想で仕方がない。実の親からこんな目に遭わされるためにこの世に生を受けたのではありません。
容疑者である父親は,「しつけのためにやった。悪いことをしたとは思っていない。」などと嘯いているようですが,躾と虐待・暴力との区別もつかない愚か者の言い分です。報道によれば,挙げ句にこの者は虐待の状況を動画で撮影させていたともいいます。職業柄あまり情緒的,感情的な表現は差し控えるべきことは分かってはおりますが,このサイコパスのような容疑者の顔写真を見ますと,胸が悪くなります。
安倍首相は2月8日に官邸で開かれた児童虐待防止に関する関係閣僚会議において,「痛ましい事件を繰り返してはならない。子供の命を守ることを最優先にあらゆる手段を尽くすという強い決意で、児童虐待の根絶に向け総力を挙げて取り組んでほしい」と述べるとともに,「子供たちを守る砦となるべき学校、教育委員会、児童相談所や周りの大人たちが心愛(みあ)さんの悲痛なSOSの声を受け止めてあげることができなかった。幼い命を守れなかったことは本当に悔やんでも悔やみきれない」と強調しました。
政府は,新たな対策として,(1)把握している全ての虐待ケースの緊急安全確認,(2)子供の安全を第一に通告元は一切開示しないルールの設定,(3)威圧的な保護者に対する複数機関での共同対処ルールの設定,(4)新年度に児童福祉司の千人増員など体制の抜本的強化などが挙げられています。
私が強く思いますのは,いやしくもこういった事態の再発防止のためには,合目的的かつ効果的な対策を施さなければならないということと,何よりも児童相談所,教師,教育委員会などが子供の命を守ることを至上命題として自覚することです。合目的的の目的とは「子供の命を守ること」ですし,効果的の効果とは「子供の命を守る」ための効果です。
皆さんも覚えておいでだと思いますが,昨年の3月2日には東京都目黒区の船戸結愛さん(当時5歳)が親からの虐待でやはり幼い命を奪われております。結愛さんが自分のノートに書いた「もっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるしてください ゆるしてください お願いします」の幼いメモに涙した方もいらしゃると思います。
もうこんなことを繰り返してはいけません。親が虐待の加害者であるなら,場合によっては親権剥奪はもちろんのこと,社会が積極的に介入し,連携して子供の命を守らなければなりません。
昨年8月に出た週刊新潮の評論家櫻井よしこさんのコラムでは,虐待死をなくすためには「全件情報共有」が必要だと力説されていました。すなわち,他の先進国と同様,幼い子供の命を守るのは社会と国全体の責任だという考え方に基づいて,各地の児童相談所や警察に寄せられた虐待が疑われる全ての情報を,児童相談所と警察とが情報を全件共有するということです。
そのコラムで櫻井よし子さんは,ノンフィクション作家の門田隆将さんの次のような発言を引用しておりました。
「児童相談所と警察はその成り立ちからして組織の特質、DNAが違います。児童相談所の人はこの番組を見て怒るかもしれないけれど、児童相談所にとって(結愛ちゃん事件は)普通のことです。警察は命を守る組織です。結愛ちゃんの命を守ろうとする遺伝子を持っているのが警察です。児童相談所は親子関係、或いは家庭のあり方を修復するという遺伝子を持つ組織です。だから自分たちの手元の情報を警察に通告して、子供の命を守ろうという発想が元々ないのです。」
確かにこの門田氏の発言には言い過ぎの面はありますが,結愛ちゃん事件の時の児童相談所の対応は医師からの情報提供を全く生かせませんでしたし,自宅を訪れても母親から「不在」と言われてすごすごと辞去しています。また,今回の心愛ちゃん事件の際も,児童相談所は子供の救命という点では機能していませんでしたし,教育委員会の対応は失態と評価されるべきです。
門田氏はさらに言います。
「(児童相談所と警察との間の全件情報共有の必要性を前提とし)児童相談所は自分たちの専門性を高める、そのためには要員増加には大賛成と言うでしょう。組織の権限も拡大します。しかし、それでは対応できないところまで日本社会はきています。警察と手を携えなければ子供の命は守れないでしょう。・・(中略)・・警察は全国に30万人,交番のお巡りさんは10万人です。彼らに『子供さんは元気ですか。』と声をかけてもらうだけで事情はかわります。」
児童虐待防止は喫緊の課題です。
自由民主党の総裁選挙は,9月7日に告示,同月20日に投開票となりました。これまでの実績,国家観及び歴史観,政治家としての覚悟などなど,安倍晋三総裁の三選はもはや疑いはなく,またそうあらねばならないと思っております。
総裁選に向けてのメディアなどにおける石破茂氏の発言内容などを精査しますと,まるで野党党首のようです(笑)。批判ばっかり。石破氏の憲法9条2項の削除論は正論ですし,私もそうあるべきだと思いますが,それですと現状では憲法改正が困難となってしまいます。彼はそれを見越しているのだし,9条の改正については優先度が高いとは思われないと本音を述べてもおります。非常にズルいと思います。
また,驚くべきことに竹下派の参議院議員や領袖の竹下亘氏などは,石破支持なんですと・・・。一部報道によりますと,このような事態になったのは,その淵源を辿ると元参議院議員会長の青木幹雄氏の「鶴の一声」なんだそうです。未だ隠然とした発言力を保持している青木氏が何でそのような「鶴の一声」を発するのか。
政治評論家の杉浦正章さんの言によれば,このような「鶴の一声」が発せられるに至ったのは,青木氏の極めて個人的な理由からのようです。すなわち,青木氏の長男である一彦氏(参議院議員)が2016年の参議院議員選挙から合区された「鳥取・島根」選挙区で,石破氏から手厚い支援を受けているからだそうです。父親である青木氏としては,石破氏の協力を得て,自分の可愛い息子(一彦氏)の選挙基盤を将来にわたって盤石にしたい思惑があるのでしょう。
いやはや,信じられないほどの俗っぽさです。チコちゃんから,「俗っぽく生きてんじゃねえよ!」と叱られても文句は言えません(笑)。
さて,人の顔というものは整形手術でもしない限り,もって生まれたものでありどうしようもありません。私だって人のことは言えません。でも,政治家というのはやはり顔は重要だと思うのです。好みの問題はあろうかと思いますが,G7の各国首脳の集合写真や会合,そして各国の首脳との会談場面などを見ておりますと,安倍首相は国際社会に出しても恥ずかしくはありませんよね(笑)。
麻生太郎副総理は,これまで数々の舌禍問題を起こしてはおりますが,意外と本質を突いた発言もしております。その麻生さん,9月4日,熊本県内のある会合で,党首の「顔」や「雰囲気」に言及し,石破さんは「暗い」として,選挙を戦う上で安倍首相の方がふさわしいと断言したのです(笑)。
いわく「(総裁選の)候補者は2人しかいない。どちらの顔で選挙したいか。暗いより、明るい方がいいのではないか。」
また,麻生さんは安倍首相が2012年以降,衆院選(3回)と参院選(2回)で連勝していることや,国際社会の評価が高い点を挙げた上で,いわく「(総裁を)代える以上は、前より良くなくてはおかしい。もう1人の顔は、そうなる可能性があるのか。よく顔を見てもらいたい。」(笑)
顔の造りそのものについては石破氏の責任でも何でもないので,これはいささか言い過ぎの嫌いがないでもありません。しかし,麻生さんがこのように発言する根底にあるのは,ある会食の場で「苦しいときこそ、人間性が分かる。」と語っているように,自由民主党が1993年に下野(野党転落)した時に石破氏が離党したことなど,このような政治家としての世渡り姿勢に対する抜きがたい不信感があるからでしょうね。
このたびの「顔」に関する麻生さんの発言について,あたかも失言であるかのように報じたメディアもあるようですが,あるネット記事(zakzak)が指摘するように,党首が体現する雰囲気というものは組織の士気やイメージにかかわる訳であり,麻生さんの発言は意外と本質を突いていると思われます。
本当に呆れかえってしまうほどの夏の暑さです。今日,名古屋ではとうとう40.3度を記録してしまいました。もう,どうしようもありません(笑)。この酷暑に対する私のささやかな抵抗といえば,道行く人がどのように感じようが,男性用日傘を差して歩くことです。日傘は結構いいですよ。
さて,7月6日にはオウム真理教事件の確定死刑囚7名の死刑が執行され,同26日には残りの確定死刑囚6名の死刑が執行されました。死刑執行命令書に署名したのは,勿論,上川陽子法務大臣です。刑事訴訟法475条によれば,死刑執行命令は,判決確定の日から6か月以内に行われなければならないと規定され,当該条文は現在では死文化してしまってはおりますし,歴代の法務大臣の中には卑怯にもその職務を放棄してしまった者もいる中で,上川法務大臣はその職務を敢然と全うした訳です。貫徹された職務執行と言うべきでしょう。
産経新聞の連載記事の中に「モンテーニュとの対話『随想録』を読みながら」というものがあり,これはいつも産経新聞文化部の桑原聡という方が執筆されており,私は結構楽しみにしております。共感できる内容のものが多いからです。少し前の号で「上川法務大臣の胆力に脱帽」というタイトルで掲載されておりました。
確かに,久しぶりに胆力のある政治家を見る思いがしました。上川陽子代議士のホームページには,政策の基本姿勢として「腰のすわった政治をめざす。」,「難問から、逃げない。」とありました。どこぞの反日的,売国的な野党議員や左翼的な新聞社に聞かせてやりたいものです(笑)。
誰だって死刑執行命令書に署名するのは勇気のいることですし,悩みに悩むことでしょう。しかし,死刑制度が現に存在し,刑事司法の執行力を実現するためには法務大臣こそがそれを行わなければならないのです。10年程前,法務大臣として勇気をもって署名した鳩山邦夫前法務大臣について,あの朝日新聞の「素粒子」というコラムで,次のような的外れで見識を疑う言葉を投げかけた者がいたのです。
「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」(平成20年6月18日付)
全くもって恥ずかしい表現ですし,繰り返しますが的外れで見識を疑う言葉と言わざるを得ません。
また,国会議員等の中には死刑廃止論者も当然存在するでしょうし,生来困難な場面から逃げてしまうような性分の方々も混じっているでしょう(笑)。民主党政権時代には仙谷由人,江田五月,平岡秀夫といった方々は結局死刑執行命令書に一度も署名することはありませんでした。その理由は一体何だったのでしょうか。また,自由民主党の中にも杉浦正健という人間は,第3次小泉改造内閣の法務大臣就任時,記者会見で「私は死刑執行命令書にはサインしない。」と言い放ったのです。
でも,死刑廃止論者だったり,あるいは自分の政治信条だったり,いろいろあるにしても,死刑執行命令書に署名しないと初めから決めているような者は,本来であれば法務大臣就任を打診された時点できっぱりと断るべきなのです。そうでなければ,現に死刑制度が存在している以上,刑事司法の執行力(刑事事件の審理に携わった裁判官は苦悩しながら自己の良心に従って判断した)を実現できず,法務大臣の職務放棄と評価せざるを得ないからです。
今般,胆力と勇気をもってその職務を全うした上川法務大臣にはご苦労様でしたと言いたいのです。
いわゆる慰安婦問題に関する日韓合意について,あろうことか韓国は,これを実質的に反故にする構えを見せており,日本国政府にさらなる対応を求めております。
全く,冗談じゃありませんよ。呆れかえります。この問題に関して既に成立した日韓合意では,「慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明されたのではないですか?韓国では,この日韓合意が成立した手続について何やら瑕疵があったとかいう内容の報告書なるものを発表しておりますが,それはあくまでも国内問題に過ぎないでしょう。
この日韓合意は,条約という法形式こそとられてはおりませんが,れっきとした国と国との間の国際的な合意なのです。約束が守られなくてどうするのですか。韓国はこれまで,何度も何度もゴールポストを動かすようなことを繰り返してきましたが,こんなことをしていたら国際社会では笑われますよね,本当に。だって,相手当事国は韓国とは安心して合意を成立させられないのですから。
このことに関して,私が愛読している産経新聞の「産経抄」は,あの福沢諭吉先生の言葉を引用しつつ次のように述べております。さすが,一万円札の諭吉先生,慧眼,卓見です。
「福沢は『脱亜論』から10年余で、ついに朝鮮を突き放す。『左(さ)れば斯(かか)る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前(もちまえ)にして毫(ごう)も意に介することなし』(『事実を見る可(べ)し』)。その覚悟で韓国との付き合いに臨め、と福沢は言うだろう。」
私は以前に「江戸しぐさ」に関する本を読んで,なるほどなと思った事があります。それは「ゆびきりげんまん、うそついたら針千本のーます!」という歌,そして最後に「死んだらごめん。」と付け加えるしきたりです。
「げんまん」は「げんこつ一万回」の略です。要するに,約束を破ったりしたら,指を切るよ,げんこつ一万回だよ,針を千本飲ますよということであり,約束したら絶対にそれを守らなければならないよということなのです。そして,最後に付け加える「死んだらごめん。」という言葉は,死んでしまったら約束は守れないけど,死なない限りは絶対に守るからねという誓いなのです。約束というものはそれほどの固い契りなのですよ。日本人は子供の頃からそうやって友達と付き合ってきたのです。こんな歌,韓国には存在するのでしょうか(笑)。
先日,札幌へ出張に行ってまいりました。やはり海の幸は本当に美味しかったのですが,相当に寒く雪がかなり積もっておりました。1泊したのですが,翌日は昼間から雪が降り,帰りの飛行機は本当に飛ぶのだろうかと不安になりました。どうやら北海道の他地域と比べて降雪量がそれほど多くはないという理由で新千歳空港が建設されたようで,空港はそれほど雪は降っておらず無事に名古屋に帰ってくることができました(笑)。
さてそれにしても,12月13日に広島高等裁判所で出された四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止め仮処分決定には驚きました。この決定(保全処分)には,原子力規制委員会など相当の知見を有する専門家,科学者はもちろん,電力会社関係者などは大きな衝撃を受けたようですし,私も大変驚きました。
担当裁判官らは,このような決定をなすに当たり,「火山の影響による危険性について、伊方原発が新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ。」と切って捨て,これはあたかも専門家の知見に対するリスペクトを全く欠いているようなものです。
産経新聞の報道によると,四国電力は阿蘇山が大規模に噴火しても,原発が立地する佐多岬半島では現在まで9万年前の阿蘇山の大噴火に由来するとみられる堆積物が発見されていないと主張していたのですが,「佐多岬は火砕流の堆積物が残りがたい地形だから,火砕流が到達していないと判断することはできない。」と論断したのです。もうここまできますと,完全に「ゼロリスク」を要求しているとしか言いようがありませんし,この裁判官らは仮に自分達が四国電力の代理人(弁護士)になった場合,いやそれでもリスクはないのだという反証活動に成功する自信があるのでしょうか。できもしないことを要求するものではありません。要するにこの決定は,数万年に一度規模の噴火を過度に重視し,長時間にわたる検討,検証,調査に基づく科学的知見にのっとった安全審査の結果をごく僅かな審理期間で覆してしまったのです。
規制基準では九州北部一帯を火砕流で埋め尽くすような大噴火の場合,数十年規模のマグマ移動などの兆候があって事前に対応できるとしているのであり,九州電力の社長も,阿蘇山を含む管内5か所の火山口の地殻変動などを常時観測し,安全対策に万全を期していると説明しております。それに,原発稼働の可否を決める新規制基準は,東京電力福島第1原発事故後に火山や竜巻などの自然災害への対策を追加し,立地の半径160キロメートル以内の火山について,火砕流や火山灰の到達の可能性や影響を調べ,安全対策をとるように定めているのです。
今度のこの決定で,伊方原発3号機の停止により火力発電用の燃料費が増加し,四国電力の場合は1か月に約35億円もの収支が悪化する見通しです。原発停止の長期化が電気料金値上げにつながる可能性は大いにあり,賦課金や原油高による値上がりへの追い打ちにもなりかねません。さらに,経済産業省の工業統計調査では,製造業における平成26年の電気使用量が4兆2991億円と,震災前の平成22年に比して3割以上増加して大きな負担となっております。こういったエネルギーコストの上昇は,日本の企業の競争力を削いでしまう結果となるでしょう。
中央大学法科大学院の升田純教授は,「(差し止めは)結論ありきで論理を後付けで探した印象だ。裁判官は行政(規制委)の裁量判断を尊重すべきだし,高度に科学的な問題では耳をかたむけるべきだ。」と指摘しており,同感です。
エネルギー供給手段のベストミックスが叫ばれている昨今,司法に携わる者としても,9万年の間にはここ100年のうちに人類の叡智で原子力発電に変わり得る有力なエネルギー獲得手段が発見されるのではないかといったような中長期的な観点で,ある程度は専門的知見に裏打ちされた行政判断を尊重すべきだろうと思うのです。今回の決定のような問題こそ「司法リスク」なのでしょうね。本案の訴訟手続においては是非真っ当な判断がなされることを願っております。
9月28日にはいよいよ衆議院が解散されますね。衆議院議員総選挙については,日程的には10月10日に公示,同22日に投開票のようです。諸般の事情を総合的に考慮すれば,解散の時期は今が絶好ではないでしょうか。
こんな私でも,日本国民の一人としていろいろなことを一応は考えますよ(笑)。安全保障,外交の問題にしても(もちろん憲法改正は不可欠です。),経済の問題にしても(経世済民),社会保障,少子化,科学技術の振興,エネルギーの確保などなど,山積する諸問題を解決し,乗り切っていくには誰かが,そしてその指導力の下で有機的に結合したある組織が日本国の政権をちゃんと担っていかなければなりません。そうした観点からごくごく普通に考えますと,自由民主党という政党が核にならなければならないことは自明でしょう。他に何かございますでしょうか(笑)。
野党などは今回の解散については,「大義がない」とか「憲法違反だ」などと言い出す始末です。今回の衆議院の解散について,一体全体憲法のどの条文に抵触するのでしょうか(笑)。また「大義」がなければ解散してはいけないのでしょうか(笑)。
過去の歴史を振り返ってみても,衆議院の解散には必ずしも「大義」があったとはいえません。昭和27年4月28日にはサンフランシスコ講和条約が発効し,わが日本国はようやく主権を回復したのですが,それまでの公職追放やらなにやらで政界は混乱を極め,時の第3次吉田茂内閣もその政権基盤が脆弱で,私が尊敬する岸信介という政治家らも有志を募って日本再建連盟を発足させるなどの動きをしていました。政権維持にこだわり,安定させたい吉田茂は焦っていました。
そこで「ズル平」の異名を持つ吉田側近の策士・松野鶴平が吉田に知恵を授け,他の保守勢力や野党勢力の体制や準備が整わないうちに,何の前触れもなくいきなり衆議院を解散したのです(笑)。いわゆる「抜き打ち解散」です(昭和27年8月28日)。「大義」も何もあったものではありません(笑)。
それから,ほら,あの有名な「バカヤロー解散」です(笑)。当時の右派社会党の西村栄一議員の衆議院予算委員会での質問に対し,挑発を受けた吉田茂首相が「馬鹿野郎!」と,やや押し殺した声で思わず言ってしまったのですが,マイクの性能がよくなっていたため運悪く音声が拾われてしまったのです(笑)。このバカヤロー発言が契機となって最終的には衆議院が解散されてしまいました(平成28年3月14日)。何と,「バカヤロー」という発言が衆議院解散に至った訳ですから,「大義」も何もあったものではありません(爆笑)。
いいんですよ,解散に「大義」なんかなくっても。それよりも,ちゃんとした存在が政権を担ってくれれば・・・。もちろん,現在の自由民主党や安倍晋三という存在については,私は諸手を挙げて賛成などはしておらず,むしろ少なからず不満もあります。でも,浮ついた「民意」やブーム,そして軽佻浮薄なマスコミに乗せられ,またこれを利用した「小池新党」なるものと比較した場合,自由民主党が勝ってしっかりした政権運営をしてくれなければならないのは当然でしょう。「小池新党」,何やら「希望の党」というのですかね,当選したいばかりの自己保身に走った議員が駆け込み寺のように駆け込み,これから政党としての綱領や政策のすり合わせをしていくというのですから,有権者も本当にナメられたもんです。主催する政治塾から突貫工事で人選し,150人ほどの候補者を立てるというのです。まだ政党としての綱領も,政策の基本も確立していないというのに。
これから出張に出かけますので,今日はこれくらいにします(笑)。「叛骨の宰相 岸信介」(北康利著,中経出版)という本を読み終えたばかりなのですが,とても良い本です。この岸信介という政治家は,その抜群の頭脳,能力,識見,そして実績は誠に素晴らしいものであり,戦後最大の政治家なのではないかと心服しております。今の時代にもこういった素晴らしい政治家が待望されます。
このようにして,一雨一雨という感じで次第に秋が深まってゆくのですね。深まりゆく秋,私は一年の中でこういった季節も大好きなのです。
さてさて,北朝鮮が「ならず者国家」と呼ばれるようになってからかなりの時間が経ちますが,そのならず者ぶりはますますエスカレートしています。このたびの国連安保理による北朝鮮制裁決議は中途半端なものに終わってしまい,誠に残念です。中国やロシアのような国が拒否権を濫用する構えを見せている以上,これからも国連は機能しないままでしょうね。
ロシアの場合は,本気で制裁決議を遵守しようとはしていませんし,むしろアメリカなどが困惑しているのを楽しんでいる気配すらあります。一方,中国の場合は,北朝鮮の度重なるミサイル発射や核実験でことごとくメンツをつぶされ,困惑というよりも怒りを覚えているのでしょうけど,やはり本気で北朝鮮に制裁を加える気はないのでしょう。というのも,中国は遼寧省丹東から北朝鮮へ延びるパイプラインを通じて原油を送り続けており,その量は年間約50万トンと推定されており,北朝鮮への供給量の9割を占めています。
中国がそのバルブを閉め,石油製品の輸出を停止すれば北朝鮮の軍事挑発に歯止めがかけられると思うのですが,先日の産経新聞(9月5日)では中国が石油製品等の供給停止に応じられない理由として5つほどが列挙,説明されていました。
それによるとまず第1は,技術上の問題だそうです。北朝鮮向けの原油には,ろうそくの原料のパラフィンが多く含まれており,送油を一定期間止めてしまうと凝結して管が詰まってしまうということです。
第2は,石油製品等の全面的な供給停止をしてしまうと北朝鮮の社会的混乱,政権崩壊に至る可能性があり,①大量の難民が中国に押し寄せ,②崩壊後に親米政権が誕生するなどといった事態を中国が受け入れる訳にはいかないというもの。
第3は,生命線を断たれた北朝鮮の金正恩政権が暴発し,供給停止で北朝鮮のミサイルが北京に飛んでこないとも限らないこと。
第4は,仮に中国が原油・石油製品の供給を停止したとしても,ロシアが秘密裡に供給し続ける可能性がある。その場合,北朝鮮との関係を決定的に悪化させた中国だけが損をすることになる(実際,ロシアの北朝鮮への石油輸出は急増している)。
第5は,中国にとって石油の禁輸措置は北朝鮮に圧力をかけられる最大のカードであり,それを使っても効果がなかった場合,北朝鮮へ影響力を行使できる手段を全て失うことになる。
以上のようなことが指摘,説明されていました。それにしても,このたびの核実験は水爆のようですし,そのうちICBM(大陸間弾道ミサイル)の弾頭に核を搭載する技術も備えてしまうでしょう。それに北朝鮮のミサイルが日本にも向けられていることは周知のことです。
「平和ボケ」も大概にしないと,そのうち取り返しのつかないことになります。